今大会、優勝候補の最右翼と見られているのが、前回大会覇者の大阪桐蔭である。優勝すれば、史上3校目の春連覇達成という快挙を成し遂げることになるが、では、最初にこの偉業を成し遂げたチームは? その答えは1929年と30年に第6回大会と第7回大会を連覇した第一神港商(現・市立神港橘=兵庫)である。
第6回大会で第一神港商のマウンドに立ったのが西垣徳雄だった。初戦で夏の大会の優勝経験がある静岡中(現・静岡)を5‐2で降してチームは勢いに乗り、準々決勝では愛知商(愛知)を4‐1で、準決勝の八尾中(現・八尾=大阪)との試合は激闘のすえ延長11回裏に1‐0でサヨナラ勝ちし、決勝戦へと駒を進めたのだった。
迎えた決勝戦の相手は3年前の大会覇者で強豪の広陵中(現・広陵=広島)だったが、主導権を握ったのは第一神港商だった。5回裏2死満塁のチャンスから三遊間安打で1点。同点に追いつかれた6回裏にはふたたび中前適時打で勝ち越し。さらに7回裏にもダメ押しの1点を加えた。投げてはエース・西垣が広陵中打線を被安打1、11奪三振の1失点に抑え、前年の関西学院中に続く兵庫県勢の2連覇が達成されたのであった。なお、西垣はこののち法政大に進み、プロ野球・国鉄スワローズ(現・東京ヤクルトスワローズ)の初代監督に就任している。
連覇を目指した第7回大会のマウンドを守ったのは、岸本正治(元・阪急)だった。恵まれた体格から投げ下ろす速球には威力があり、ドロップも鋭かった。1回戦は一宮中(現・一宮=愛知)相手に19奪三振の2‐0で1安打完封。準々決勝でも高松中(現・高松=香川)から10奪三振。被安打2で5‐0と連続完封を達成した。準決勝の甲陽中(現・甲陽学院=兵庫)との同県対決では被安打5で2失点を喫したものの、3試合連続の二ケタ奪三振となる10を記録して4‐2で堂々の2年連続決勝戦進出を果たしたのだった。
連覇を懸けた相手は5年ぶりの選抜制覇を狙う松山商(愛媛)。この強豪から序盤3回裏に味方打線が4点を先制。さらに追加点を入れて試合の主導権をガッチリと握った。結局、岸本は4試合連続の二ケタ奪三振となる10奪三振で完投。6‐1で勝利し、第一神港商が史上初の選抜連覇を達成したのである。
なお、この大会で岸本が記録した4試合での54奪三振記録は1973年第45回大会で作新学院(栃木)の怪物・江川卓(元・読売)が4試合で60奪三振をマークするまで43年間もの長き間にわたって塗り替えられることがなかった。まさに春の選抜史に残る大記録であったと言えよう。
(高校野球評論家・上杉純也)=敬称略=