それにしても武蔵は強かったらしいね。「60戦無敗」なんでしょ。ボクシングでいえば、相当強いチャンピオンだよ。だけど、どこにその記録が残ってるのか。「五輪書」に書いてあるっていうんだな。「五輪書」って自伝だからさ、自分で「60戦無敗だ」って言っても本当かどうかわかんないよね。誰も見てないんだから。
武蔵が「五輪書」を書いたっていう霊巌洞にも行ったことあるけどね。
「あぁそうか、ここで五輪書を書いたのか。石の上にも3年っていうけど、武蔵はここでじっと一人座って書いたのか」
そう思いながら、俺もそこに座ってみた。そうしたら蚊がブンブンブンブン飛んできてさ、
「あちゃー! 痒くてこんなところにいらんないよ」
すぐに飛び出した。
「こんなところで五輪書を書けるかっつーんだよ!」
それがガッツ流の結論。蚊に刺されちゃって書けないよ、あんな洞窟じゃ。武蔵は蚊取り線香でもたいたのかな。
まぁ、確かに武蔵は強かったんだろうけど、その戦法から「卑怯だ」と言われたりもするね。勝つことに手段を選ばないから。でもそれは卑怯でも何でもない。勝負は勝たなくちゃいけないし、決闘は生きるか死ぬかなんだよ。「死んで花実が咲くものか」って言葉があるけども、何があっても生き残らなくちゃ、どんな戦法を使っても勝たなきゃ。それが勝負っつーもんだな。例えば日本ボクシング連盟という組織の中で試合してるのに「うちの選手だけ勝たせろ」とかね、どこぞの会長みたいなことやるのは卑怯だろ。だけど武蔵の時代に「決闘連盟」みたいなコミッションがあったわけじゃないし、武蔵の勝負には卑怯も何もない。勝てばOK牧場だな。
「千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を錬とす」
武蔵の言葉にこういうのがあるけど、千日っつーとだいたい3年、万日っつーと30年でしょ。それぐらい修業は大変だという意味だな。修業の「業」は「仕事」のこと。「仕事を修める」わけだから、「その道を極める」ってことだよね。
俺もボクシングで毎日毎日練習して8年かかって世界チャンピオンになったからわかるけど、野球だろうがゴルフだろうがボクシングだろうが、何の世界でも日々鍛錬して、苦しい中から自分自身で克服していった人が一流になる。王さんも長嶋さんも同じ。王さんだって畳がすり切れるぐらい素振りしたっていうでしょ。あれは武蔵の言う「鍛錬」ですよ。