「よく来たな、ババア」。歯に衣着せぬ毒舌で“まむしワールド”全開の「毒蝮三太夫のミュージックプレゼント」(TBSラジオ)平日の午前10時台の25分番組は、番組開始から今年で45周年。誰もマネのできない生トークの秘密を聞いた。
「ナムアミダブツ、ナムアミダブツ」
「握手はいいけど、他のところ握っちゃダメ!」
こんな名調子で始まったのは、3月8日の埼玉県加須市からの放送。にぎやかなトークの合間には、福島県双葉町の人たちが震災から2年後の今も、近くの学校の体育館で避難生活を送っている様子もしっかりリポートしている。
「震災のことはおもしろくやれるもんじゃないんだよな。だって兄弟が目の前で流されて、でも自分は逃げていたから助けられなかったとか、そんな話をされるんだから。だけどオレはわかりやすく伝えたいんだよ。オレは政治家じゃないし、政治番組でもないから。大災害がないように祈ったり、今いる人たちが『生きていてよかったな!』と思えるようにできればいいなと思ってやっているだけさ」
「毒蝮三太夫の──」は1969年10月6日に初回が公開生放送。現在は「大沢悠里のゆうゆうワイド」内の1コーナーである。当初はごく普通のトークだった。「ジジイ」「ババア」は、放送開始から4年たったある日突然、口をついて出た。
「オレのお袋が、昭和48年(1973年)に死んだ。それで中継現場に行ったら『お袋は死んだけど、そこにいるババア元気だな~』と言ったのが最初。そのババアを、亡くなったお袋だと思って言ったんだ」
が、その日、局には抗議の電話が殺到。「あいつを辞めさせろ!」という類いが99%だった。しかし、あるタクシードライバーから「胸がスーッとした」という声が届いた。それでディレクターやプロデューサー、そしてスポンサーが毒蝮を守ってくれたという。
「現場ではみんな笑っているんだ。文句はラジオを聴いている人から来た。でもオレが育った下町じゃ、『おばあさん』なんて言わない。『ババア』とか『くたばりぞこない』と言ったら『ハイ!』って返事する。だから口から出たんだよ」
番組人気はそこからブレイク。“蝮ワールドが炸裂”する生放送では、参加者のボケに毒蝮がツッコむ構図のように見えるが‥‥。
「それは決まってない。オレが相手にやられる場合もあるんだから。オレがマムシなら、向こうにハブがいることもある(笑)。打ち合わせなんてない。『汚ねえババア(ジジイ)だな』とか言うのは、それがリアリティだから。本当にきったねえんだから(笑)」
人気がヒートアップして“おばあちゃんのアイドル”“カリスマ”と呼ばれるようになると、毒蝮を拝み、ガンを患う人から「なでてください」と言われることまであった。
「でもオレは教祖じゃないよ。悪教祖は人をだますけど、自分もだまさなきゃできないだろう。自己陶酔だな。だから(立川)談志もそうだったけど、オレは自分をだませない。それと、みのもんたさんは『お嬢さん』と言えるけど、オレは言えないね。オレは本当の芸能人じゃないんだから。本当の芸能人は自分を殺して相手に合わせるだろ? オレ、合わせないもん」
番組では「ジジイ」「ババア」と言いながらも、その場にいる人たちの話をよ~く聞いて、実に丁寧に拾い上げていることがわかる。
「オレは毎日やっているけど、相手にとっては1回だけ。一期一会だから。コンセプトとしては、そこにいる人が主役なんだ」
素人たちの話が生き生きしているのは、そんな配慮からなのだろう。
「本当は、ラジオが終わってからが楽しいんだ。番組のあと30分は話しているからね。もう規制がないから何でもしゃべれる。ラジオの時間はたまたまマイクが音を拾っている。その他のほうが長いんだ」
45年も続いた理由の一つは、ラジオだったからという。