スポーツ

「ドラフト指名ナシで奮起した」古田敦也が片岡篤史に明かした「原点」!

「ミスタースワローズ」と言えばこの人、1990年からヤクルトスワローズで活躍した古田敦也氏を真っ先に思い浮かべるだろう。入団2年目には首位打者を獲得。また最多安打も1度獲得するなど、捕手ながらバッティングにも優れていた。野村克也氏(故人)のID野球を継承し、野村氏が育てた最も偉大な選手といっても過言ではない。しかし、ヤクルト入団までは社会人野球も経験するなど、意外な苦労人でもある古田氏なのだが、プロへの熱意を高めたあるきっかけについて告白した。

 元プロ野球選手、ユーチューバーとしても活躍している片岡篤史のYouTubeチャンネル〈片岡篤史チャンネル〉5月3日投稿回にゲスト出演した際のことだ。

 古田氏の出身高校は野球の弱い県立高校だったと言う。一度は野球をやめた古田氏だが、受験で合格した立命館大学の野球部の監督に誘われ野球を再開。そこで実績を残し、プロ野球を意識したのは大学4年生の時だと振り返る。

「関西の新聞って、当時で言うと(同期で当時立教大学在学中の)長嶋一茂が一番の目玉なのに、関西で言うとボクの方が記事がデカイ。立命館の古田ドラフト1位間違いナシとか出るのよ。そうしたらさ、オレすごい選手になったなって思うじゃない」

 と、大学4年時のドラフト指名は間違いないと踏んでいた古田氏だが、眼鏡をかけていたことがネックだったようで、結果はドラフトにかかっていない。

「その悔しさが社会人とかプロに行かれて反骨心になりましたか?」片岡の問いかけに、「そのエネルギーが凄かったですね。やっぱ若いっていいなと思いますね。今振り返ればあれがなかったら大した選手になってないですよ。プロ野球に行くためにどうしたらいいかしか考えてなかった」と語る古田氏。トヨタ自動車に入社後、1988年のソウルオリンピックの野球日本代表に選出され、野茂英雄らとバッテリーを組んで銀メダル獲得に貢献した。これがプロへの大きな足掛かりとなったわけだが、オリンピックに行く事よりも、プロに行く事を目的としていたと語る古田氏の思惑通りとなった結果だった。

 神は超えられない試練を人に与えないと言うが、与えられた試練以上に大きな結果を残した人もまたそうはいないのではないだろうか?古田氏の反骨心、見習いたいものである。

(ユーチューブライター・所ひで)

カテゴリー: スポーツ   タグ: , , , ,   この投稿のパーマリンク

SPECIAL

アサ芸チョイス:

    「男の人からこの匂いがしたら、私、惚れちゃいます!」 弥生みづきが絶賛!ひと塗りで女性を翻弄させる魅惑の香水がヤバイ…!

    Sponsored

    4月からの新生活もスタートし、若い社員たちも入社する季節だが、「いい歳なのに長年彼女がいない」「人生で一回くらいはセカンドパートナーが欲しい」「妻に魅力を感じなくなり、娘からはそっぽを向かれている」といった事情から、キャバクラ通いやマッチン…

    カテゴリー: 特集|タグ: , , |

    今永昇太「メジャー30球団でトップ」快投続きで新人王どころか「歴史的快挙」の現実味

    カブス・今永昇太が今季、歴史的快挙を成し遂げるのかもしれないと、話題になり始めている。今永は現地5月1日のメッツ戦(シティ・フィールド)に先発登板し、7回3安打7奪三振の快投。開幕から無傷の5連勝を飾った。防御率は0.78となり、試合終了時…

    カテゴリー: スポーツ|タグ: , , |

    因縁の「王将戦」でひふみんと羽生善治の仇を取った藤井聡太の清々しい偉業

    藤井聡太八冠が東京都立川市で行われた「第73期ALSOK杯王将戦七番勝負」第4局を制し、4連勝で王将戦3連覇を果たした。これで藤井王将はプロ棋士になってから出場したタイトル戦の無敗神話を更新。大山康晴十五世名人が1963年から1966年に残…

    カテゴリー: エンタメ|タグ: , , , , , |

注目キーワード

人気記事

1
DeNA大型新人・度会隆輝「とうとう2軍落ち」に球団内で出ていた「別の意見」
2
「趣味でUber Eats配達員をやってる」オードリー若林正恭に「必死の生活者」が感じること
3
桑田真澄に「偉業を全て盗まれた」同級生の元バッテリー捕手が明かす「ほとんど完全試合」時代
4
「3Aで最多安打記録」巨人に新加入の外国人ヘルナンデスに「超不吉なデータ」
5
豊臣秀吉の悪口に反論したら「耳と鼻をそがれて首を刎ねられた」悲劇の茶人