巨人にとって、「ミスタージャイアンツ」の長嶋茂雄氏が守っていた三塁手は聖域である。1974年の長嶋氏引退後は主に高田繁氏が守っていたが、79年のシーズン中にケガで離脱した際、75年にドラフト3位で入団した中畑清氏が取って代わり、高田氏復帰後も中畑氏は三塁手を渡さなかった。
ところがその中畑氏、自身が奪い取ったと同様のケースで三塁手を明け渡すことになったのは、81年。現・巨人監督の原辰徳氏のシーズン1年目であった。
元プロ野球選手・田尾安志氏のYouTubeチャンネル〈田尾安志【TAO CHANNEL】公式YouTube〉に中畑氏が出演。原氏に奪い取られた三塁手のエピソードを振り返った。6月3日付けの〈中畑さんコラボ:第3話「原辰徳さんの怨念」ヤスキヨ対談〉と題して公開された投稿回でその時のエピソードが語られている。
80年は三塁手としても勢いに乗っていた中畑氏。大学で三塁手だった原氏に実力で勝り、原氏は二塁手デビューとなった。ところが、中畑氏の記憶では開幕間もない阪神戦のこと。中畑氏が安打して一塁の場面、次のバッター原氏がサードゴロ…ゲッツーを防ぐためにスライディングした中畑氏の上に二塁手の岡田彰布氏の体が覆いかぶさり、中畑氏は左肩を脱臼。その後、原氏は代わって入った三塁手の座を中畑氏から奪ったかのように確固なものにしたのだ。
三塁手は自分がいるのに、なぜ巨人は原氏を獲ったのか、「オレにとっては腹立つ(原辰)だよ!」と怒鳴ってみたり、二塁手を務める原氏からの「怨念のような視線」を感じたと語る中畑氏だが、もっとも、これは恨み節ではなく、中畑氏一流のトークと言おうか、ネタのようだ。
結果、二塁手には後に名手と謳われる篠塚和典氏が入り、一塁手で復帰した中畑氏は「神様が与えたケガ」とも口にしている。そんな中畑氏にホレボレする、見ごたえのある回だった。
(ユーチューブライター・所ひで)