社会

離婚アドバイザーが明かす“大震災で壊れた夫婦たち”(2)「東電社員が語る震災後の夫婦関係」

 栃木県在住の松本章さん(42)=仮名=は東電の現役社員。結婚した当時は、「超優良企業の社員と結婚した」というおごりのせいか、妻は浪費癖が直らず、結婚当初から昼頃まで寝ていて家事をほとんどしなかったという。

 松本さんが家に帰っても食事の支度ができていないことも少なくなかった。おまけに、2カ月に一度のペースで女友達と旅行に出かける始末。とはいえ、妻が不在の間、松本さんは息抜きをすることができ、キレることはなかった。

 しかし、震災で生活が一変した。松本さんは電力設備の復旧作業のため、仕事は福島の原発や富津の火力発電所など被災地に集中した。生真面目な松本さんは悲惨な状況を目の当たりにすることで、「自分の悩みなんて大したことはない」と気持ちを切り替えた。

 だが、被災者からは厳しい言葉を浴びせられた。それだけに、我が家の妻だけは自分に優しい言葉をかけてくれるのではないかとわずかな時間を縫って自宅に帰ったが、松本さんを待ち受けていたのは妻のあまりにもひどい仕打ちだった。

「あんたも被曝しているんじゃないか。放射能がうつるから近寄らないでよ!」

「経営陣のお給料はあんなに高いのに、いつになったらあんたの給料は戻るのよ」

 ねぎらいや感謝の言葉など皆無で罵声を浴びせられたのである。

 露木氏が言う。

「ただでさえ、東電社員というだけで針のムシロなのに、家に帰っても同じ仕打ちを受ける。震災から3年。我慢したまま、一生が終わってもいいのかと、松本さんは自分を見つめ直すようになったそうです。残りの人生を自分らしく生きてみたい。妻という存在を抱えたまま、耐え忍ぶのではなく、自分だって明るく楽しく生きてみたい。そんな気持ちが芽生えるようになったのです」

 結婚当初はわからなかったが、「東電ブランド」が崩れてしまったとたんに妻の本性が現れたのである。

 また、夫が不倫していて別居中だった時に震災にあった夫婦もいるという。

「震災被災地ではさまざまな事情を抱えた家族が仮設住宅で生活するわけですが、こうした夫婦の場合では、離婚していないのに『自分の家だけ夫がいないのは世間体が悪いので戻ってほしい』と妻が訴え、夫が家に戻るケースがあります。すると今度は夫と不倫相手の間でトラブルが起こる。一方、夫婦関係は根本的なところで修復してないから戻ってもまた揉めます。金遣いの荒い人だと復興の金をパチンコで使ってしまったりしてトラブルが再発する」(露木氏)

 亀裂の入った夫婦はあがけばあがくほど、溝が大きくなるという。

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