社会

坂本龍馬が二股をかけて捨てた「婚約者」が生涯独身を貫いた理由

 龍馬の妻といえば、お龍(りょう)こと楢崎龍であることは知られている。龍馬とお龍は、慶応元年(1865年)8月1日に内祝言を挙げたとされている。

 だが龍馬はそれ以前、別の女性と婚約していた。そが千葉さな子(佐奈)である。彼女の伯父は北辰一刀流の流祖・千葉周作で、父はその弟・定吉だ。

 定吉は当初、兄と一緒に神道無念流「斎藤道場」、鏡心明智流「桃井道場」とともに江戸三大道場とされる「玄武館」を創設し、運営に携わっていた。その後は江戸の桶町(東京・八重洲)に、分室道場「桶町千葉」を構え、門弟を指導していた。その定吉の次女が、さな子だった。

 容姿端麗なさな子は幼少の頃から北辰一刀流を学び、10代で小太刀免許皆伝を許された。免許皆伝とは、師から全ての技芸を伝授されることで、並の技量ではない。あまりの強さに男の門弟たちも太刀打ちできず「千葉の鬼小町」「小千葉小町」と呼ばれていたという。

 そのさな子のいる「桶町千葉」で剣術修行をしたのが、土佐から江戸に出てきた龍馬だった。いつしか2人は恋仲になり、さな子が25歳の頃に婚約。結婚のために、定吉が坂本家の紋付きを仕立てたと言われている。

 ところが龍馬がその後、土佐に帰国。京都でお龍と知り合い結婚したため、龍馬とさな子の婚約はいつしか自然消滅してしまった。今風にいえば、さな子は二股を掛けられ、捨てられたということである。

 だが、さな子は未練タラタラだった。龍馬が京都・近江屋で暗殺された後も、父が仕立てた坂本家家紋入り紋付きの片袖を、形見として持っていたという。

 しかも全ての縁談を断り、明治維新後は学習院女子部の寄宿舎の監督をする舎監として働く。その後は今の東京・千住で、家伝として「千葉灸治院」を開き(写真は灸治院跡のレリーフ)、59歳で亡くなるまで独身を貫いたという。

 もし龍馬が江戸にとどまり、さな子と結婚していれば、池田屋で暗殺されることはなかっただろう。薩長同盟も成立せず、江戸幕府はその後もしばらくは存続していた可能性もある。

 千葉の鬼小町の結ばれなかった恋が、明治維新を生んだとも言える。

(道嶋慶)

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