芸能

ピンク・レディー 「モンスター神話」の真実(4)ミニスカートとホットパンツで過ごすことを徹底させた

20140807i

 それは「芸能界の常識」をことごとく打ち破る出来事だった。B級アイドルに見られていた2人組は、たちまちミリオンセラーを連発。時には大人たちが眉をひそめるゲリラ的な戦略が功を奏し、やがて、国民的なモンスターとなった。歌謡曲がテレビ界の中心にあった時代、ピンク・レディーに関わった軍師たちは、斬新な発想で境界線を突破していった──。

 歌うミー(根本美鶴代)とケイ(増田恵子)、作詞・阿久悠、作曲・都倉俊一、振付け・土居甫(どいはじめ)、衣装・野口庸子、プロデューサー・相馬一比古、そしてビクターのディレクター・飯田久彦──。

 これが「ピンク・レディー」という巨大な幻想を作り上げた“七人のサムライ”ということになる。すでに阿久と土居、相馬の3人が鬼籍に入っていることが70年代の遠さを、そして過酷な作業であったことを物語るようだ。

「ビクターの上層部には『何であっちを指名しなかったんだ!』とどなられましたよ。でも、僕が作りたいと思ったのはミーとケイの2人だったから」

 飯田は「ルイジアナ・ママ」のヒットで紅白にも出場した歌手だったが、75年にディレクターとしてビクター音産に入社。そして76年2月16日、日本テレビの「スター誕生!」で14社が指名した清水由貴子には目もくれず、会社の反対を押し切ってミーとケイを獲得。

 前年に大好きなザ・ピーナッツが引退したことを受け、踊って歌えるユニットが欲しいというのが飯田の理由だった。

「ただ、2月にスカウトして8月25日にデビューさせるというのは突貫工事もいいところ。当時の新人賞レースに間に合わせるには、じっくり準備して翌年の3月か4月にデビューさせるのが常識でしたから」

 76年の新人賞レースは新沼謙治と内藤やす子が独走していた。ここに後発のミーとケイが対抗するためには、大胆な発想こそが必要と飯田は思った。

 まず、ユニット名の候補だった「白い風船」ではなく、都倉が命名した「ピンク・レディー」という刺激の強いものにした。デビュー曲もB面の「乾杯お嬢さん」と、土居が考案した股を開く振付けの「ペッパー警部」で意見が分かれたが、飯田や阿久が推した「ペッパー警部」に決定。

「今思えば、新米ディレクターがことごとく会社を無視してますよね。老舗のビクターでしたから、股を広げるダンスに『会社として恥ずかしくないのか!』と言われた。ただ‥‥賛否両論は大いに結構です。総論賛成なものって、ヒットには結びつかないと思っていましたから」

 飯田はマネジャーである相馬と、2人のファッションについても意見が一致した。この76年はロングスカートが全盛期だったが、だからこそミニで勝負しようと思った。そのため、プライベートでもミニスカートかホットパンツで過ごすことを徹底させたという。

 本来、さわやかなフォークデュオを目指していたミーとケイは、あまりの環境の変化に、ふと飯田に漏らしたことがあった。

「私たちじゃなくても良かったんじゃないですか?」

 静岡から上京した素朴な2人にとってみれば、スパンコールのついた超ミニの衣装でのデビューは考えてもみなかったことだろう。

 ただし、165センチのミーと163センチのケイ──当時としてはダイナミックでオーラを放つ肉体があってこそ実現したプロジェクトであった。

カテゴリー: 芸能   タグ: , , , ,   この投稿のパーマリンク

SPECIAL

アサ芸チョイス:

    「男の人からこの匂いがしたら、私、惚れちゃいます!」 弥生みづきが絶賛!ひと塗りで女性を翻弄させる魅惑の香水がヤバイ…!

    Sponsored

    4月からの新生活もスタートし、若い社員たちも入社する季節だが、「いい歳なのに長年彼女がいない」「人生で一回くらいはセカンドパートナーが欲しい」「妻に魅力を感じなくなり、娘からはそっぽを向かれている」といった事情から、キャバクラ通いやマッチン…

    カテゴリー: 特集|タグ: , , |

    今永昇太「メジャー30球団でトップ」快投続きで新人王どころか「歴史的快挙」の現実味

    カブス・今永昇太が今季、歴史的快挙を成し遂げるのかもしれないと、話題になり始めている。今永は現地5月1日のメッツ戦(シティ・フィールド)に先発登板し、7回3安打7奪三振の快投。開幕から無傷の5連勝を飾った。防御率は0.78となり、試合終了時…

    カテゴリー: スポーツ|タグ: , , |

    因縁の「王将戦」でひふみんと羽生善治の仇を取った藤井聡太の清々しい偉業

    藤井聡太八冠が東京都立川市で行われた「第73期ALSOK杯王将戦七番勝負」第4局を制し、4連勝で王将戦3連覇を果たした。これで藤井王将はプロ棋士になってから出場したタイトル戦の無敗神話を更新。大山康晴十五世名人が1963年から1966年に残…

    カテゴリー: エンタメ|タグ: , , , , , |

注目キーワード

人気記事

1
ラモス瑠偉「W杯惨敗サッカー日本代表コキ下ろし」に抗議電話15万5000件/スポーツ界を揺るがせた「あの大問題発言」
2
「趣味でUber Eats配達員をやってる」オードリー若林正恭に「必死の生活者」が感じること
3
「キスしてる?」質問にフジテレビ・井上清華が衝撃「赤面もじもじ返答」の「まさか!」
4
桑田真澄に「偉業を全て盗まれた」同級生の元バッテリー捕手が明かす「ほとんど完全試合」時代
5
落合博満が「何の連絡もない」と困惑する「中日OB戦オファー事件」の舞台裏