大相撲の錣山親方(元関脇寺尾・本名=福薗好文)が12月17日、東京都内の病院で死去した。
父は「もろ差し名人」で鳴らした元関脇・鶴ケ嶺で、3人兄弟の末っ子。次兄・元関脇逆鉾(元井筒親方)、長兄・元十両鶴嶺山も力士だった。
16歳で入門。兄弟の中で最も可愛がってくれた母親が亡くなって相撲の世界に入った。「ずっと母親のことを忘れず土俵にあがる」という決意でしこ名を「寺尾」を引退まで貫いた。その亡き母・節子さんの旧姓である。
「現役時代からイケメンで、当時は若貴兄弟以上の人気がありました。『アビ』というニックネームは相撲部屋にやってきた外国人のお客さんが錣山親方のあまりの可愛さにa baby(ア・ベイビー)と言ったのがきっかけで、それが短くなってアビというアダ名で呼ばれていました」(古参の相撲担当記者)
1991年、春場所初日から10連勝だった18歳の貴花田(元横綱貴乃花)との初顔合わせの激闘は、伝説の一番となった。「高3(貴花田)になんか負ける訳にはいかない。支度部屋での記者の取材も若貴ばっかだった」と、敵意剥き出しで上がった土俵で敗れた。花道で下がりを投げつけるほどの悔しさを表し、その後は「1勝14敗でもいいから貴乃花には負けたくない」と並々ならぬ闘志を燃やしていた。
そして4年後、95年の春場所で横綱になった貴乃花から初めて「金星」を獲得したのが寺尾だった。有言実行、とにかく熱い力士だった。2018年の日本相撲協会役員改選では、スキャンダルが続く相撲界の腐敗に意を決して一門を飛び出し、「貴乃花グループ」とタッグを組んだ。「力士以外の行司さんや呼び出しさんたちの待遇をあげなきゃいけないという訴えに共鳴した」のが理由だった。しかし最終的には貴乃花親方と意見が合わずに解散。
「皮肉にもこのことがきっかけで酒量が極端に増え持病の不整脈が悪化。ニトログリセリンの服用を続けていたといいます。体重もみるみる落ちて、心臓にペースメーカーをつけていました」(前出・相撲担当記者)
常に相撲を愛してやまなかった錣山親方。相撲界はまた大切な人材を失った。
(小田龍司)