その資料とは、事故対応を記録した、福島第一原発と東電本店などを結んだテレビ会議の映像である。この映像は事故直後1カ月間の800時間に及ぶ記録。一部は社員の個人情報保護の観点からモザイクがかけられ、酷評されたものだが、同ビデオを丹念になぞっていくと、11年3月14日朝からのテレビ会議に不審なやり取りがあるのだ。
この日の未明、1号機と3号機では、原子炉冷却のための海水注入が中断される。くみ上げ場所の海水が極度に減少したためだ。結果、午前6時から7時にかけて福島第一原発3号機の格納容器内圧力が急上昇し、最高使用圧力を超える状態になった。東電は原子力災害対策特別措置法第15条にある緊急事態判断基準に該当するとして、国と地方自治体へ報告し、記者発表しようとする。
午前7時49分過ぎからのやり取りでは、本店官庁連絡班が記者発表について次のような説明をしている。
「今、NISA、保安院からも官邸に向かって共同で処理していますが、プレス(報道発表)を止めているそうです」
ここからは3号機の異常事態の公表を当時の「原子力安全・保安院(NISA)」=以下、保安院=と官邸が止めている様子がうかがえる。この点からは、検証委員会報告書は官邸による東電への圧力に合致する内容に読み取れる。
しかし、この記録を時間経過とともに追っていくと、午前8時55分にも本店側が3号機格納容器内圧力急上昇の公表に触れている。
「先ほどのプレスに関する情報です。今、窓口のほうで保安院のほうに確認していただきましたら、絶対にダメだというのが保安院の見解で、プレスは行うなという強い要請、指示だそうです」
この会議では「国」という言葉が使われ、官邸も官庁も一緒くたにされていることが多い。だが、ここでははっきり「保安院」と断言している。
当時の民主党政権は与党1年目で、未曽有の非常事態に対応できる経験があるはずもない。東電に対して、隠蔽を迫ったと強く推認されるのは、このやり取りからもわかるように当時の保安院なのだ。
保安院は事故直後の記者会見で、炉心溶融の可能性に言及した中村幸一郎審議官を会見担当から外すという露骨な対応も行っている。
のちに保安院側は、この「更迭」が官邸からの指示だったとしたが、中村審議官の更迭翌日、当時の枝野幸男官房長官が会見で炉心溶融に言及しており、つじつまの合わない話である。
今回の第三者委員会の田中康久委員長は、くしくも総会当日、新潟県の技術委員会への説明を行っていた。報告書に記載した官邸からの圧力に関して「東電で聞き取れる範囲で何か出てくれば、調べるつもりだった」と曖昧に答えた。
東電経営陣、第三者委員会まで、肝心の部分を話したがらないのはなぜか。
「保安院は現在、原子力規制委員会へと移行し、今後の東電の経営を左右する柏崎刈羽原発の再稼働の是非を決定する。その規制委員会を牛耳る事務方、すなわち旧保安院の心証を害したくないのが本音なのでは‥‥」(ジャーナリスト)
結局、「隠蔽体質を改める」と言いながら、曖昧な姿勢のまま、東電は事故後6回目の総会をやり過ごしただけなのかもしれない。