五輪とは、すなわち「記憶」である。圧倒的な記録や手に汗握る名勝負もそうだが、選手が発した「偽らざる名セリフ」こそ心に残る。そしてさらに、思いもよらぬ“続き”が待ち受けていようとは‥‥。
五輪史に残るシンデレラガールが、92年バルセロナで金メダルに輝いた岩崎恭子だろう。
「今まで生きてきた中で、一番幸せです」
わずか14歳で200メートル平泳ぎを制し、ピュアな言葉が日本中を感動させた。ただし、あまりにも注目されたため、ストーカーや嫌がらせの電話に悩まされるようになる。
「金メダルなんて獲らなければよかった。練習をサボれば注目されないだろう」
そう考えて練習に身が入らず、ついに自身の記録を超えることはなかった。現在は結婚して1児の母となり、再び「一番幸せ」に包まれている。
同じく競泳では、00年シドニーの400メートル個人メドレーで銀メダル獲得の田島寧子がいる。直後のインタビューで、本音を漏らした。
「めっちゃ悔しい! 金がいいですぅ~!」
流行語になるほど支持されたが、翌年に引退して「女優転向」を宣言すると、一気にバッシングの嵐となった。田島自身は地道に演技派女優を目指したが、非難に耐えきれず、6年で引退した。
流行語大賞に選ばれるほど浸透したのは、96年アトランタでマラソンの銅メダルに輝いた有森裕子だ。前回のバルセロナでは松野明美との激しい代表争いの末、銀メダルに。2大会連続のメダリストとなった瞬間に語った言葉がこれだ。
「初めて自分で自分をほめたいと思います」
フォーク歌手・高石ともやの詞を引用したものだが、むしろ衝撃は98年1月に結婚した夫、ガブリエル・ウィルソンの発言。
「I was gay(僕はゲイだった)」
新婚気分を吹き飛ばす会見だったが、それでも有森は意地で結婚を強行。ただし、4年前に離婚に至ったようだ。
五輪の申し子である谷亮子は、旧姓の田村亮子時代から名セリフを連発した。
「最高でも金、最低でも金」(00年、シドニー)
「田村で金、谷でも金」(04年、アテネ)
その言葉どおりに谷亮子は、女子柔道48キロ級で連覇を達成。92年のバルセロナと96年のアトランタでは、あと一歩のところで涙を飲んだだけに、自分を鼓舞するための“暗示”をかけたのだ。
そして出産後の08年、北京を前に──、
「ママでも金」
代表選考を巡って紛糾したが、母となった谷は粋な宣言。ただし、最後の舞台は銅メダルに終わり、有終の美は飾れなかった。
最後は、日本陸上界悲願のマラソンで金メダルをもたらした00年シドニーの高橋尚子である。
「すごく楽しい42キロでした」
Qちゃんらしく明るく語ったが、まさか、翌アテネの大会で代表漏れしてしまうとは、夢にも思わなかっただろう。
「“専門家”が選んだんだから」
小出義雄監督の精いっぱいの皮肉もまた、隠れた名セリフである。