グラドルたちが本来、争うべきはボディの美しさである。とはいえ、そこは彼女たちも人の子。ライバルたちとバトルに発展した全ケースを追う!
堀江しのぶを第1号タレントとして豊かなバストブームを牽引した「イエローキャブ」は、15年に30年以上もの歴史を閉じた。
一時は“グラビア=イエローキャブ”のイメージを作ったほど人材豊富で、逆に言えば「熾烈なライバル関係」が常に存在したことになる。堀江が88年に他界した後、それこそ「ブームの創始者」となったかとうれいこと細川ふみえは、細川が先輩のかとうを立てたことで、目立ったバトルはなかったという。
そして90年代後半、本格的なグラビアブームが到来。かつて同社でマネージャーを務めたM氏が、雛形あきこに続いて大々的にプッシュされた山田まりやを回想する。
「デビューしたばかりの山田は、雛形の前で直立不動になるようなウブな感じだったんです。ところが、野田義治社長に司会の仕事などを与えられると、たちまち後輩をイジメるような態度になった」
山田に「元ヤン疑惑」が報じられると、先輩をつかまえて「私より雛形さんのほうがよっぽど怖い」と言ってしまったのだ。
そんな山田の直近の後輩が小池栄子と佐藤江梨子である。グラビアブームを支えた2大ヒロインではあるが、とにかくソリが合わない。
「これにMEGUMIを加えた『さとこいめぐさん』というレギュラー番組があったが、後輩のMEGUMIが2人の間で苦労していた。それが後にバラエティで開花するMEGUMIのトークスキルにもつながりましたが」(前出・M氏)
この時期、最大のトラブルメーカーと呼ばれたのが川村亜紀である。中でもグラビア界の伝説となったのは、全員で撮影に行ったハワイのカレンダーロケで、あまりのやる気のなさに野田社長から帰国と無期限謹慎を命じられた1件。そんな川村に心酔していたのが意外にもMEGUMIだったという。
「川村を『グラビアがいつ見てもきれいで憧れの人』と言ったものだから、MEGUMIの面倒を見ていた小池からも、川村嫌いで知られたサトエリからも怒りを買ってしまった」(アイドルライター)
そして時代は21世紀に突入。いよいよメガサイズ期に突入し、メジャーなグラドルで初めてバスト100センチ台に突入した根本はるみが登場する。これに割りを食ったのが、ほぼ同時期にデビューした小林恵美だった。
「小林は野田社長と会った日に事務所入りした逸材だったが、根本をプッシュする形で組まれた『R.C.T.』の一員にされてしまった。『何で私が?』とぶんむくれていましたよ」(前出・M氏)
こうした内紛が影響してか、04年にはイエローキャブがサンズとの2派に分裂。さらに15年には、イエローキャブの破産という形でその歴史に幕を下ろす。今から思えば、所属タレントたちの生々しいバトルこそ、彼女たちを輝かせた要因だったかもしれない。