結局、勝は「影武者」を降板することとなった。その後、映画が完成し、有楽座で行われる試写会に勝が訪れる。ところが勝の姿を見るや、黒澤監督は玄関ホールの物陰に隠れたのだという。「世界のクロサワ」の意外な小心ぶりだった。
さらに、「『影武者』の降板騒動」以上に、世間をにぎわせたのが、薬物だった。90年1月、ハワイのホノルル空港でアンダーウェアの中に薬物を所持、現行犯逮捕された。しかし、「気がついたら入っていた」とシラを切り、記者会見では「もう、パンツははかない!」とトボけてみせたのだった。
84年にマネージャーの座を離れていたアンディ氏だったが、勝を語るうえでは、薬物との関係は切っても切れない関係だったと証言する。
「もう時効だから言うけど、オヤジはマリファナを時々やっていたからね。事件を聞いた時、ま、起こるべくして起こったなと。ただ、『マリファナは天然由来だからいいけど、ケミカルはダメだよ、ケミカルは』が口癖だったから、コカイン所持というのは意外だった」
実は、アンディ氏自身もマネージャー時代、勝から「チョコレート」(マリファナから抽出した液体を固めたもの)を預かったことがあるという。
「それを実家のベッドの下に隠したんだけどね、親に見つかって燃やされちゃって、煙を吸った近所の人がラリッたらどうしよう、って俺、真っ青だったよ。しばらくして、オヤジから『アンディ、あれ持ってきて』と。『はい? いえ‥‥あの』とトボけたんだけど、隠せないし、全部正直に話したんだ。すると、『ああ、そう。悪かったね』、それで終わり。普通だったら、テメエふざけんなバカヤロー、となるじゃない。それが一切なかった。預けたのは自分。だから、なくなったのも自分の責任。オヤジはそういう人だったね」
勝にとって大きな転機となったのは81年、勝プロが12億円という借金を抱えて倒産したことだった。債権者の中には“その筋の関係者”も少なくなかったが、
「相手はシノギだから、勝新太郎とはいえ容赦しないはず。でも、『勝さんじゃしょうがない、よう取れん』ってね‥‥。貯金したり、別荘買ったり、ヨットだとか、そういうことがあれば、『テメエこの野郎!』になるけど、みんなオヤジがきれいに金を使っていたことをわかってくれていたからね。心で生きてきた人間は、心で生きている人間のことがわかるんだよ。つまり、勝新太郎という役者は、それ以前に人間・奥村利夫(勝の本名)として、しっかりと根を張って生きてきたんだと思うね」
勝の死後、アンディ氏は日本を離れ中国で音楽ビジネスを成功させた。帰国後は得意の語学力を生かし、中学校で英語講師として教壇に立っているが、
「今日もここ(取材場所)に来る前に、オヤジの墓参りに行ってきたんだ。生きているうちは何も返せなかったからね。だから、今はオヤジから学んだすばらしい財産を“かわいいガキんちょたち”に伝えてやれたらいいと思っている。それがせめてもの恩返しだね」
あらためて、アンディ氏はしみじみと述懐する。
「オヤジに出会って、本当に男が男にほれることがあることを知った。自分の人生でいちばんステキなプレゼントをしてくれたオヤジには、今も感謝の気持ちしかないよ」
稀代の名役者を語り継ぐべく、今もアンディ氏は教壇に立っている。