美甘子 四国八十八カ所のお遍路さんというのは、空海が巡った場所なんですか?
河合 全部回ったかどうかはよくわかりませんが、空海と縁があるということです。空海が入定(にゅうじょう)して、弟子たちが空海の修行の跡を訪ねて回ったのが始まりで、江戸時代に盛んになったと言われています。
美甘子 女性は30代に2回厄年があって、今年私は2回目の厄年なので、先日、川崎大師に厄払いに行ってきました。川崎大師にも、空海=弘法大師(こうぼうだいし)さんがいらっしゃいましたね。空海ゆかりの場所って、日本全国にあるのもすごいですね。四国にはお遍路さんが歩いている時に地元の人が御接待(おせったい)といって、食べ物を提供したりすることがあるんです。私の故郷の大三島(おおみしま)には札所(ふだしょ)はないんですが、子供の頃から「お大師(だいし)さん」といって、子供たちが島を回って、お地蔵さんとか普通の家のお仏壇にお供えしてお参りしたりするとお菓子をもらえたり、炊き込み御飯みたいな「もぶり御飯」という御飯を食べさせてくれたりする風習がありました。母に聞いたら、今年は5月6日に「お大師さん」をやりますって。旧暦の3月21日でお大師さんの命日なのかな。あと、高野山には私も何回か行っていて、あそこでは、空海は今も生きていると信じられていて、お坊さんたちが弘法大師御廟(ごびょう)に朝早くに御飯を持って行くところを見たりしました。空海の廟がある奥の院に行く途中には、信長や秀吉など有名な武将のお墓もたくさんあって、すごい雰囲気ですよね。
河合 武将の墓は敵味方に関係なくありますね。高野山に行くと罪が消える、アジール(聖なる避難地帯)という感じで、特に戦国時代には評判だった。日本史上の傑物・偉人が高野山を信仰していますね。また、空海の業績は、密教以外にも土木技術など、治水の技術をもたらしたことでしょうね。当時の科学技術の最先端とも言える、アーチ型の堤防を造った満濃池(まんのういけ)の修復とか。
美甘子 朝廷にも評価されるよう、技術や知識も学んで帰ったんですね。
河合 そういう意味では、ちゃっかり計算していたんだと思います(笑)。
美甘子 外国から優れた文化や学問を持ってくるのは空海の時代から続いているんですね。
河合 そう、今度「大久保利通 西郷(せご)どんを屠(ほふ)った男」(徳間書店・2月28日刊)という本を書いたんですが、まさに明治維新では、大久保利通らは、遣欧使節団として欧米を見てきて、これまた短期間のうちに、法律や制度だけじゃなく、いろんなものを持ち帰っています。空海はまた、貧しい庶民でも平等に学べる、日本で初めての私立学校とでも言える綜芸種智院(しゅげいしゅちいん)という学校を開いたり、手広くいろんなことを成し遂げた。“超天才”であったのは間違いないですね。両手足と口に筆をくわえて、五行の詩を一気に書いたとか、そういうパフォーマーでもあったようですよ。
美甘子 人を引きつけるアーティストであり、頭がよくて、厳しい修行にも耐えられる。本当にスーパーマンですね。
河合 詩も書けば、本もたくさん書き残しています。「弘法筆を選ばず」などのことわざに残るように、字も上手だったし。ちょっとかなわないですよね。
美甘子 若い女の子に写経がはやったり、八十八カ所巡礼の旅に出る人たちも増えているので、この「空海」の映画が公開になるというのは、とても楽しみ。
河合 天才ぶりを見るのが楽しみです。
<プロフィール>
河合敦(かわい・あつし)1965年、東京都出身。青山学院大学文学部史学科卒業、早稲田大学大学院博士課程単位取得満期退学(教育学研究科社会科教育専攻日本史)。高校教師27年の経験を生かし、歴史研究家、歴史作家として講演、執筆、テレビをはじめとするさまざまなメディアで日本史の解説を行っている。新書判「大久保利通 西郷どんを屠った男」(徳間書店・2月28日刊)など著書多数。昨年は自身初の歴史小説「窮鼠の一矢」(新泉社)を上梓。
美甘子(みかこ)1982年生まれ。愛媛県今治市、国宝とロマンの島・大三島出身。専修大学文学部日本語日本文学科卒業。坂本龍馬など歴史上の人物をこよなく愛する「歴ドル」として、テレビ、ラジオ、雑誌などで活躍中。高知県観光特使、神々の国 宮崎PR大使、いよココロザシ大学生徒会長なども務める。著書に「龍馬はなぜあんなにモテたのか」(KKベストブック)などがある。趣味は歴史上の人物のお墓参りと、昭和の香り漂う純喫茶巡り。特技は幕末の志士たちの変名や辞世の句が言えること。
「空海-KU-KAI-美しき王妃の謎」全国東宝系にてロードショー