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記事全文を読む→「負けたら即引退」宣言の辰吉丈一郎が王座陥落で繰り出した「起死回生のレトリック」/スポーツ界を揺るがせた「あの大問題発言」
ボクシング元WBC世界バンタム級王者の薬師寺保栄容疑者が、妻の署名を偽造して養子縁組届を提出したとして在宅起訴されたニュースは、ボクシング界に衝撃を与えた。
この名ボクサーの名前を聞いて、ある男の顔を思い浮かべるファンは少なくないはずだ。かつてバンタム級統一戦で激突し、12回判定の末に敗れながらも、今なおファンの心に強烈な記憶を残す「浪速のジョー」こと辰吉丈一郎だ。
中学卒業と同時に、片道の電車代だけを手に大阪帝拳ジムの門を叩いた辰吉が韓国の崔相勉を破り、華々しくプロデビューを飾ったのは1989年9月。翌年には国内最短タイ記録となる4戦目で日本バンタム級王座を獲得する。
そして1991年9月、WBC世界バンタム級王者グレッグ・リチャードソン(アメリカ)を10回TKOで破った辰吉は、わずか8戦目で世界王座奪取。国内選手史上最短タイ記録だった。
迎えた初防衛戦。辰吉は「負けたら即引退!」との言葉を自らに課してリングに上がったのは1992年9月17日。相手はメキシコのビクトル・ラバナレスだった。公開スパーリングで見せた、ラバナレスの不器用でスピード感のないファイトスタイルに、誰もが辰吉の圧勝を疑わなかった。
ところがゴングが鳴った途端、状況は一変する。ラバナレスの重厚かつ無骨なパンチが辰吉のスピードを削ぎ、ボディをえぐる。タイミングを外し、遅れて出てくるパンチに、辰吉は苦しめられた。
そして9ラウンド、ついに力尽きた辰吉は無念のTKO負け。王座陥落である。かつてない屈辱と、張り詰めていた「引退」という重圧が、新たにのしかかることになったのである。
記者の質問を待っていたかのように…
翌日の記者会見、大阪帝拳ジムに現れた辰吉の表情には、敗者の悲壮感など微塵もなかった。それどころか、表情はいつになく晴れやかだ。重苦しい空気の中、一人の記者が引退問題について口火を切る。すると辰吉は待っていたかのように、こう言い放ったのである。
「負けたのは、ウチの双子の弟やから」
一瞬、不思議な静寂に包まれる会見場。直後には報道陣から驚きと失笑が漏れたのだった。
このあまりにも「辰吉らしい」レトリックによる引退宣言撤回に、その場に居合わせた誰もが呆れつつも、そこに圧倒的カリスマ性を感じ取ったことは間違いないだろう。
漫画「あしたのジョー」の矢吹丈を超える存在として、リングの上でしか生きられない男が生存戦略として口に出した「起死回生のひと言」。あれこそが、彼がその後30年以上もリングに執着し続ける、生涯現役という物語のプロローグだったのかもしれない。
(山川敦司)
アサ芸チョイス
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