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記事全文を読む→【引退秘話】ヤクルト・石川雅規「ドラフト争奪戦」巨人か近鉄入団なら「通算200勝」に到達していた「心変わり」の理由
プロ25年目の46歳がついに今季限りでの引退を決めた。野手も含めた現役最年長選手のヤクルト・石川雅規投手だ。
ヤクルト一筋、1年目からの24年連続勝利は、メジャーリーグではロジャー・クレメンス(ヤンキースなど)と並ぶ世界最長記録。日本球界だけで通算188勝(現役最多)まで積み重ねてきたとあって、
「肩肘がぶっ壊れるまで投げたい」
と語るなど、「200勝」到達が大きなモチベーションだった。
今季1軍初登板となった巨人戦(8月27日・神宮)では、打者7人に対し、24球で降板。わずか1/3回を一死しかとれず、6失点降板だった。
「大城に死球を与えた際に左肩が亜脱臼を起こして、投げられる状態ではなくなりました」(ヤクルト担当記者)
大炎上した今季初登板だったが、マウンドを降りる際には球場全体から拍手が湧き起こっていた。そして左肩はもう限界。
通算最多敗戦数は、400勝のOB・金田正一(267敗)次ぐ194敗で、これは球団歴代単独2位だ。金田はのちに巨人へ移籍しているが、石川はヤクルト一筋。
2001年にドラフト自由枠でヤクルトに入団。実は最も熱心に獲得調査をしていたのが巨人だった。
「それは石川本人も明かしています。当時は逆指名がある中で、巨人を筆頭に近鉄など複数の球団が、石川を即戦力左腕として高く評価していました」(古参の野球担当記者)
当時の制度を利用して近鉄キャンプに参加したら小林繁投手コーチが……
最終段階になって、巨人は石川獲得レースから撤退する。
「理由は長嶋さん(巨人終身名誉監督)です。この年の夏の甲子園で大活躍した寺原隼人を気に入って、石川の巨人入りは一瞬で消えました」(前出・古参の野球担当記者)
当時はアマチュア選手がプロ野球のキャンプに参加できる制度があった。石川はこの制度を利用して、近鉄のキャンプに参加した。当時の小林繁1軍投手コーチは、12球団最悪の防御率だった近鉄投手陣にあって、高卒2年目の岩隈久志とともに石川をローテーションエースとして活躍できると、高く評価していた。
近鉄スカウト陣の中には、石川が在籍していた青山学院大学野球部OBがいたことで、近鉄入りが最も有力視されていた。そこで石川が下した決断は、
「古田(敦也)さんに自分のボールを受けてもらいたい」
という率直な気持ちを最優先。ヤクルト入団を決めた。
多くのドラマを生んできたドラフトで「たら・れば」は御法度だが、石川が巨人もしくは近鉄への入団を決めていたら「200勝」を達成していただろう。
FA移籍の有資格者になっても「ヤクルト一筋」を貫いた石川は、ミスタースワローズのひとりである。
(小田龍司)
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