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記事全文を読む→ダイエー「ドラフト1位投手」が豪語した「とりあえず」と「ゆくゆく」の姿/スポーツ界を揺るがせた「あの大問題発言」
歓喜の万歳と非情の落選。10月22日、いよいよ球児たちの命運を分けるプロ野球ドラフト会議が行われる。指名する側の思惑と、人生を懸けて吉報を待つ側の願望が交錯する中、その直後の新人記者会見では時として、選手たちの「若気の至り」と「野心」が飛び出すことが少なくない。
2000年11月21日、福岡ダイエーホークス(現ソフトバンク)と仮契約を結んだ立命館大学の右腕、山田秋親もそんな選手のひとりだった。
山田は150キロを超える剛速球と切れ味鋭いフォークを武器に、関西学生リーグで無双状態に。2000年のシドニーオリンピック日本代表に選出され、プロの精鋭とともに日の丸を背負って戦ったことで「アマチュアNo.1右腕」と称された。
この年のドラフトではダイエーが逆指名枠を使い、1位で九州共立大学の山村路直、2位で山田を獲得。ダイエーは2年連続リーグ優勝を果たしたものの、二桁勝利投手はゼロだった。「超目玉のW獲り」を成功させたダイエーのフロント陣は、歓喜に沸いた。
京都市内のホテルで行われた仮契約の場では、契約金1億円+出来高5000万円という最高条件が提示され、「未来のエース」への期待の大きを物語っていた。そして新人記者会見で飛び出したのが、山田のこんなひと言である。
「来年はとりあえず新人王を目指しますが、ゆくゆくは200勝で名球会に入りたいです」
とりあえず新人王、200勝で名球会、この刺激的なフレーズに会見場がどよめき、沸く。しかし、サラリと言ってのけたその表情には、いっさいの迷いがなかった。
とはいえ、まだプロで一球も投げていない22歳の若者によるビッグマウス発言は、球界関係者やオールドファンを刺激し、翌日のスポーツ紙一面を飾ることになった。
左膝を手術⇒戦力外通告⇒独立リーグ⇒ロッテ
ただ、プロの世界は「とりあえず」でタイトルを獲れるほど甘くはなかった。1年目の2001年、さっそく1軍のマウンドに上がった山田だったが、制球難やプロの打者たちの凄まじい眼力に苦しみ、ノックアウトされる試合が続いた。
翌2002年は開幕4連勝とエース級の活躍を見せるも、その後は5連敗。1軍の先発ローテーションを維持することすらままならない現実に直面する。
3年目からリリーフに転向し、2004年には35試合に登板。6勝をマークするも、たび重なるケガに見舞われる。剛腕ゆえに体にかかる負担は大きく、肘や肩の故障と戦う日々が続いた。
2006年には左膝にメスを入れる手術を決断。しかし2008年オフ、ついに戦力外通告を受けることになった。
それでも山田は野球への情熱を失わなかった。日米の独立リーグで黙々と投げ続け、2010年には千葉ロッテマリーンズで見事に日本球界復帰した。
日本での通算成績は「17勝21敗」。数字だけを見れば、記者会見で豪語した200勝には遠く及ばない。しかし最後まで諦めずに、泥を啜ってでも投げ続けた強さ。その原点が新人記者会見での発言だったのかもしれない。
(山川敦司)
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