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「新そば」の季節になりました。
私がそばのおいしさに目覚めたのは社会人になってからです。店主こだわりの蕎麦屋に行くと、これが実にうまい。大学時代は、早稲田大学周辺の「三朝庵(さんちょうあん)」によく行っていました。卵とじカツ丼やカレー南蛮の発祥の店とされ、多くの早大生の胃袋を満たした老舗です。私は温かいそばだけでなく、丼物をよく食べていて、むしろ丼が目当てでした。残念ながら8年前に閉店しましたが、当時の私にそばのおいしさを教えてあげたいくらいです。
名店のそばもおいしいですが、家でもひと手間かけるだけでおいしいそばが食べられます。まず、スーパーで乾麺を買います。個人的には生そばは食感が柔らかく、少しぐにゃぐにゃした感じがするので、乾麺のほうが好きなんです。
茹でたら普通の水で冷やすだけでなく、氷水でしっかり締めます。夏場は水がぬるいので、必要ならスーパーで氷を買ってくるほどです。
つゆは市販の濃縮タイプを使います。私は関東風の濃くて辛めのつゆが好きなので、少し醬油を足します。薬味はわさびとネギがあれば十分ですが、あればミョウガを加えます。わさびは本格的におろしたものでなくチューブで十分。刻み海苔をのせれば、それだけでちょっと豪華になります。
盛り付けもポイントです。茹でたそばを皿に一気に盛るのではなく、一口分ぐらいずつ小分けにして盛る。新潟名物のへぎそばのような盛り方です。こうすると、箸でうまく取れて、食べやすくなります。
食べ方にもこだわりがあります。文豪・池波正太郎の著書「男の作法」を読んで以来、私は池波流を信奉しています。その流儀を少し紹介しましょう。
「関東のつゆは辛いので、蕎麦猪口にざぶんと下まで浸けるのではなく、3分の1ぐらい浸けて、ズッズッと2回すすれ」「いつまでもグチャグチャと嚙むのは野暮。3回嚙んだらいけない。2回で飲み込め」など、その教えは多岐にわたります。そばは音を立ててすすって食べるのも日本独特の文化です。
好きな蕎麦店を挙げるなら、浅草の「並木藪蕎麦」は外せません。ここのつゆは醬油そのものじゃないかと思うほど辛い。でも僕はこの辛いつゆが好きです。食後にはそば湯をもらいますが、残ったつゆにそのまま大量に入れても、まだ辛すぎることがある。そんな時は別の器に少しだけつゆを移して、そこにそば湯を注ぐ。このぐらいで、ちょうどいい味加減になります。
もうひとつ印象に残っているのが、虎ノ門にあった「港屋」。島耕作シリーズにも登場した伝説の「立ち食いそば店」です。ここの名物は冷たい肉そば。そばの上に豚肉がたっぷり盛られ、つけ汁にはラー油が入っています。日本そばにラー油を合わせるという発想が大胆で、初めて食べた時は衝撃を受けました。その後、「港屋」の影響を受けたような、ラー油を使った蕎麦の店が増えていきましたが、それだけインパクトがあったのでしょう。
こういう新しい食べ方が出てくるところも、そばのおもしろさなのかもしれません。
弘兼憲史(ひろかね・けんし)1947年、山口県生まれ。早稲田大学法学部卒。松下電器産業(現パナソニック)に勤務後、74年漫画家デビュー。以来『課長 島耕作』『黄昏流星群』などヒット作を次々生み出している。07年には紫綬褒章を受章。
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