78年12月31日のピンク・レディーは、レコ大の栄誉に輝きながら、続く時間帯の紅白歌合戦は辞退している。それまでの日本の歌謡史ではおよそ前例のないことであり、批判が巻き起こった。その理由は日本テレビのチャリティ特番に出演するためであったが、...
記事全文を読む→増田恵子
映画監督の小谷承靖(こたにつぐのぶ)は、ピンクの絶頂期である78年に「ピンク・レディーの活動大写真」(東宝)という映画を撮った。これまでフォーリーブス、桜田淳子、後には山口百恵の主演作を撮るなど、アイドル映画には定評があった。「それでもピン...
記事全文を読む→今、またピンク・レディーの歌が街に流れている。その歌は誰もが一瞬にして口ずさめるほど、2人が70年代に巻き起こした旋風は巨大なものだった。それほどの「怪物」でありながら、なぜ、不可解な凋落をたどっていったのか‥‥。76年のデビューから81年...
記事全文を読む→ヒポクラテスの時代から研究されていながら、原因も有効な治療法も確立されてないのが耳鳴り。厚生労働省の調査によれば1000人に18人が耳鳴りで悩んでおり、年々増え続けているという。しかも今や若年層にも広がり、春先に増えるというが、この厄介な病...
記事全文を読む→「デビューした76年に新人賞、翌年に大衆賞、そして3年目にレコード大賞を獲りに行こうと思ったよ」それがピンク・レディーを擁した「T&Cミュージック」の社長・貫泰夫の思惑だった。決しておおげさな表現ではなく、当時の歌謡界は“ピンク旋風”が吹き...
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