ピンク・レディーの増田恵子が5月21日の「行列のできる相談所」(日本テレビ系)にゲスト出演し、アイドル時代の超多忙ぶりを明かした。増田は1976年3月、未唯mieとのデュオでオーディション番組「スター誕生!」(日本テレビ系)に合格。同年8月...
記事全文を読む→増田恵子
昭和最大の国民的人気アイドル、ピンク・レディー。令和の世になっても根強い人気を誇り、Z世代がその振り付けを真似た動画が投稿されている。そのピンク・レディーのケイちゃん=増田恵子が、5月21日放送「行列のできる相談所」(日本テレビ)にゲスト出...
記事全文を読む→世界のホームラン王の愛聴曲は、ピンク・レディーの「サウスポー」だった──。俳優・小野寺丈がMCのYouTubeチャンネル〈丈熱BAR〉で、ケイこと増田恵子に語ったところによると、「かつてテレビで見たドキュメンタリー番組に、王貞治が出演してい...
記事全文を読む→「あ、終わった…って、デビュー前からガックリきたの」アイドルデュオ「ピンク・レディー」のケイこと増田恵子がそう回想したのは、俳優・小野寺丈がMCを務めるYouTubeチャンネル〈丈熱BAR〉に出演してのこと(7月10日)。理由は結成当時のグ...
記事全文を読む→テリー今度出るアルバムの新曲に振りは付いてるの?聴かせてもらったけど「Del Sole」なんて、ちょっとイタリアっぽくて、踊りたくなる感じだよね。増田そうなんです。エレクトロスウィング調のリズムというか、すごくオシャレだし、レコーディングの...
記事全文を読む→テリー当時、「ケイちゃん派」と「ミーちゃん派」がいたでしょう。例えば今のAKB48とかだったらさ、人数が多いからそんなに気にならないかもしれないけど、ピンク・レディーは2人じゃない。それはどう思ってた?増田あんまり意識してなかったですね。昔...
記事全文を読む→テリーよく聞かれると思うんだけど、ピンク・レディーの時って睡眠時間はどのぐらいだったの?増田ひどい時は1日45分とか50分とか。移動中に少し寝たりしたかもしれないけど、それでも3時間寝られれば御の字でしたね。テリー今はコンプライアンスがあっ...
記事全文を読む→●ゲスト:増田惠子(ますだ・けいこ)1957年、静岡県生まれ。1976年、「スター誕生!」(日本テレビ系)の決戦大会で合格し、同年、ピンク・レディーとして「ペッパー警部」でデビュー。「渚のシンドバッド」「ウォンテッド」などのヒット曲を出し、...
記事全文を読む→「寝る時間もないけど、食べる時間もない中で、100%以上のものを要求されるから、それに応えようという思いがすごく強くて。たった4年7カ月でしたけど…」こう言って「ピンク・レディー」時代を回想したのは、ケイこと増田恵子である。増田は、俳優・小...
記事全文を読む→1981年3月31日の後楽園球場コンサートを最後に解散した、ピンク・レディー。そんな彼女たちが、東京・ビクタースタジオで記者会見し、本格的な活動再開を宣言したのは、2010年9月1日のことだ。記者会見の席上、ミーは、「今まで何回か復活してき...
記事全文を読む→元「モーニング娘。」福田明日香のヘア解禁は衝撃のニュースだった。その写真集発売を待つ間に、男たちが夢中になった「アイドルグループ」のメンバーが、これまで刻んできた脱ぎ写真の歴史を振り返ってみたい。妖艶シネマで、全脱ぎ写真集で、不貞ドラマで‥...
記事全文を読む→70年代のトップアイドルは平均睡眠3時間が相場だったが、ピンクに至っては1時間程度とされた。3カ月に1枚のシングルに振付けのレッスンも入り、毎日の歌番組にCM、雑誌の撮影、そして週末には地方コンサートが待ち受ける。天馬は同じ事務所の後輩とい...
記事全文を読む→ピンク誕生から2年後、78年6月に同じビクターからデビューしたのがサザンオールスターズである。バンドの顔である桑田佳祐は、飯田のもとを訪れて不安そうに言った。「このタイトルを一言、阿久先生に伝えてもらっていいですか?」そのデビュー曲は「勝手...
記事全文を読む→それは「芸能界の常識」をことごとく打ち破る出来事だった。B級アイドルに見られていた2人組は、たちまちミリオンセラーを連発。時には大人たちが眉をひそめるゲリラ的な戦略が功を奏し、やがて、国民的なモンスターとなった。歌謡曲がテレビ界の中心にあっ...
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