ワークマンの「不審者パーカー」をご存知だろうか。正式名称は「レディースクールUVサンシェードパーカーEX+」(税込2300円)。目元だけをメッシュで残し、顔から手の甲まで完全封鎖するそのシルエットが、SNSで「不審者みたい」と話題になったの...
記事全文を読む→ピンク・レディー 「モンスター神話」の真実(5)いつもコタツで力尽きていた
ピンク誕生から2年後、78年6月に同じビクターからデビューしたのがサザンオールスターズである。バンドの顔である桑田佳祐は、飯田のもとを訪れて不安そうに言った。
「このタイトルを一言、阿久先生に伝えてもらっていいですか?」
そのデビュー曲は「勝手にシンドバッド」だった。沢田研二の「勝手にしやがれ」とピンクの「渚のシンドバッド」を掛け合わせたもので、いずれも阿久の手による詞だ。
飯田から伝えられた阿久は、膝を打って即答した。
「それはおもしろい、そういうユーモアが一番いい」
それは、自分たちのピンク・レディーという作品展開にも共通することだった。いかに世間を驚かせ、いい意味でファンを裏切っていくかの勝負でもあったと飯田は言う。
「僕も阿久先生も曲のタイトルは大事だと思って、それぞれ20や30はポケットに忍ばせていましたね。それを先生と突き合わせながら『これがいい』『いや、ユーザーを裏切るにはこれでいこうよ』というように議論していた」
とりわけ飯田が大事にしたタイトルが7枚目のシングル「サウスポー」である。78年3月に発売され、ピンクの全シングルで2位となる146万枚のセールスを記録。
ただし、レコーディングの前夜に異変が起こった。
「詞も曲も今ひとつピンと来ない。ピンクの新曲といえばプレス工場を空けて待機しているんですが、それでも、このままでは出したくないと思ったんです」
都倉の曲はゆったりとしたミディアムテンポ調。幸い、ストックの中に飯田のイメージに合うアップテンポの曲があったので入れ替えた。そして阿久には、その曲に合わせて全面的に書き直してもらった。
「それは阿久先生もムッとしたと思います。ただ、常識を覆すものを作りたいという信念がありましたから、そこは引けませんでした」
阿久が一晩で書き直した詞は〈背番号1のすごい奴が相手〉と始まる、まさしくアイドル歌謡の常識を打ち砕く世界観だった。阿久は後に、もしあのまま平板な詞で「サウスポー」を発売していたら、ピンクのブームは急速に終焉していたのではないかと述懐している。
そんな大ブームの渦中に、同じ「T&Cミュージック」から“ピンクの妹分”としてデビューしたのが天馬ルミ子だ。中1でデビューした天馬は、学年で7つ上の2人を憧れの目で眺めていた。また、相馬マネジャーの母親が住んでいた渋谷区富ヶ谷の一戸建てを寮代わりに、同じ屋根の下で暮らしたこともある。
「ただ、ピンクの2人がベッドに横になったのを見たことがありませんでした。いつも明け方に帰ってきて、居間にあったコタツに入って、ガウンだけ羽織って仮眠を取る。そんな毎日でしたね」
天馬は、さらに過酷な日々にも同行することとなった。
アサ芸チョイス
11月8日、歌手・島倉千代子(享年75)が肝臓ガンで死去した。島倉といえば、演歌の王道を歩むように、その生き様は苦労の連続だった。中でも、莫大な借金返済で味わった地獄は理不尽極まりなかったようで──。島倉は、男を信じて手形の保証人となったせ...
記事全文を読む→三陸沖で再び地震が発生し、富士山噴火を危惧する特番が組まれ、高市政権は武器輸出を解禁─この不穏な流れは何かの兆しなのか?いち早く察知したのは「Mr.都市伝説」関暁夫氏だ。30年以上前に作られたカードが、驚愕の未来を暗示しているという。いった...
記事全文を読む→世界の大谷翔平の背中を追う「後継者」が、同じ米国で静かに存在感を強めようとしている。日本を経由せずに米大学で名を馳せて、即メジャー入団を夢見る怪物のことだ。ところが今、その進路を巡って“別シナリオ”が確定的と言われているのだ。は...
記事全文を読む→

