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記事全文を読む→映像ディレクター・佐々木敦規の「お台場ハチャメチャ青春記」〈第5回〉(4)他局に流出する笑いの方程式
CS発の「お笑い道」はその後、地上波特番にもなったが、09年に終了した。
「番組の終盤『TKにらめっこ』という超ぶっ飛んだ企画を放送しました。芸人が自分のアソコ(TK)同士でにらめっこし、僕が審判として勝敗を決めました(笑)。だから『TKにらめっこに幹部が激怒して番組が終わってしまった』ってことにしていますが、真相は『とんねるずのみなさんのおかげでした』の影響です」
「みなさん─」の視聴率が微妙な感じになってきたため、フジのバラエティー部門トップが「お前ら、そっちで好きなことばっかりやってないで、本職にもっと注力しろ!」と「お笑い道」を終了させたのだ。
「出演者はアンタッチャブルやバナナマンをはじめ、人気と実力を兼ね備えた芸人たちでしたし、その後、彼らが冠番組を持って活躍したのはご存知の通りです」
「お笑い道」から羽ばたき、他局のバラエティーで活躍する彼らを見守った佐々木の胸中はいかなるものだったのか。そして、もしこれが90年代のフジテレビだったら─。
深夜枠を“実験的な場”と位置づけ、まだ無名のタレントや芸人を起用し、若いDに番組を任せて「夢で逢えたら」「カノッサの屈辱」「カルトQ」などのヒット作を生んだ時代ならば「お台場お笑い道」は地上波に昇格したのではないか。
佐々木はこう振り返る。
「フジテレビには『若い人材を育てる』という気風が確かにありました。事実『お笑い道』を作っていた若い2人のDは、のちに『ザ・細かすぎて伝わらないモノマネ』(フジ系)や『芸能人が本気で考えた!ドッキリGP』(同)を担当して、今やバラエティー界のエースです。ただ、あの頃から局に余裕がなくなっていったのは感じました。番組企画は『数字の取れる人気タレントありき』で『おもしろくなりそうなもの』や『新しい切り口』は通りづらくなりました。いかにお金をかけず、リスクを伴わずに視聴率を稼げるかの効率重視にシフトしたのです」
佐々木はカンニング竹山やアンガールズ、ザキヤマと顔を合わせると、今でも「『お笑い道』をもう一度やりましょうよ」と言われるという。
「彼らにはあの番組に対して大きな想いがあるんですよ。人気がなくなったり、数字が悪くなって終わったわけではない。『お笑い道』で生まれた笑いのフォーマットを彼らが披露したのはフジテレビではなく、他局のバラエティー番組だったことに複雑な想いもあったでしょう。番組が終わって17年経ち、僕もレギュラー陣もみんな50代ですけど、バラエティー番組で見ている人を笑わせたい欲はまだまだ強いですからね。いつかリベンジしたい」
「お台場お笑い道」を作った熱い想いは、いまだに佐々木と芸人たちの中で消えていない。
佐々木敦規(ささき・あつのり)1967年生まれ。演出家・映像ディレクター。フィルムデザインワークス取締役。「ビートたけしのお笑いウルトラクイズ!!」「とんねるずのみなさんのおかげでした」「IPPON GP」などのバラエティー、K-1やプロレスなど格闘技番組の演出を経て、ももクロのステージ演出を手掛ける。
取材・構成/茂田浩司(ライター&編集者)
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