もちろん、身体は物語どおりには動かない。レッドソックス後半の松坂は故障に苦しみ、11年には右肘のトミー・ジョン手術を受けた。華々しかった最初の2年に対し、ボストンでの最後の4年間は登板回数も投球回も減った。怪物という言葉は、調子のいい時には...
記事全文を読む→ゴジキ
80年度生まれには、和田毅、杉内俊哉、藤川球児、村田修一、館山昌平、新垣渚、小谷野栄一、東出輝裕ら、多士済々の顔ぶれがそろった。先発、抑え、強打者、守備の名手─。それぞれが異なる場所で球界の中心になり、のちに「黄金世代」と呼ばれるだけの厚み...
記事全文を読む→一人の高校生が「怪物」となった1998年―この夏は松坂大輔のものだった。桁外れであり続けることを課せられた重圧。松坂だけが世代を牽引したのではなく、のちの球界で輝く黄金世代の中で怪物はシノギを削っていたのだ。最後の「昭和的カリスマ」たちの軌...
記事全文を読む→そして藤浪の「高校最強」は、プロ入りと同時に消えた幻でもなかった。阪神では高卒1年目から3年連続で2ケタ勝利を挙げ、早い段階で一軍のエース格へ駆け上がった。その後の野球人生に浮き沈みがあったとしても、10代後半から20代前半に示した即戦力性...
記事全文を読む→一方、大谷翔平は同じ夏、岩手大会準決勝で当時の高校生最速となる160キロを計測した。ところが決勝で盛岡大付属に敗れ、夏の甲子園には届かなかった。速球の数字では日本中を驚かせながら、最後の全国の舞台にはいない。大谷の高校時代は、完成ではなく予...
記事全文を読む→夏の甲子園だけに限って、21世紀最高の投手は誰か─。この問いに対して、12年の藤浪晋太郎の名前を挙げたい。もちろん、候補は何人もいる。06年の斎藤佑樹と田中将大、16年の今井達也など。甲子園には、その夏だけ神話になる投手がいる。だが「支配力...
記事全文を読む→8月5日、夏の甲子園の開幕だ。日米球界に輝く大谷翔平、鈴木誠也も、この大舞台を目指した。94年度生まれの彼ら世代は、現在でこそ「大谷・誠也世代」と称される。だが当時の高校最強といえば、藤浪晋太郎だった。完成形と未完の大器たち─未来は大きく分...
記事全文を読む→引退後の斎藤は、意外なほど自然に次の場所へ移った。いや、自然に見えるだけで、そこにも彼なりの覚悟があったのだろう。現在は「株式会社斎藤佑樹」の代表として活動し、「野球未来づくり」を掲げている。公式サイトには、プロ野球のマウンドに立ち続けるこ...
記事全文を読む→斎藤のプロ通算成績は、89試合登板、15勝26敗、防御率4.34。甲子園の英雄、ドラフト1位、ハンカチ王子という肩書きからすれば、物足りない数字だと言われても仕方がない。本人も引退時のコメントで、期待に沿う成績を残せなかったという趣旨の言葉...
記事全文を読む→斎藤の道のりは、いかにも王道に見えた。早稲田実業から早稲田大学へ進み、10年ドラフト1位で北海道日本ハムファイターズに入団する。日本ハムの公式プロフィールでも、早稲田実業、早稲田大、北海道日本ハムという経歴と、10年ドラフト1位での入団が記...
記事全文を読む→この夏の斎藤を語るうえで、まず強調すべきは、そのパフォーマンスが単なる「快投」という言葉では収まりきらない点である。06年夏の斎藤佑樹は、時代の狭間に生まれた歴史的特異点と言える。大会を通じて、斎藤は7試合に登板し、合計69イニングを投げ抜...
記事全文を読む→マウンド上で青いハンカチで汗を拭く。高校球児の泥臭いイメージを払拭した涼やかな少年は、「ハンカチ王子」の異名で同世代を代表するプロ選手となった。だが、高校時代のできすぎた活躍はプロ入り後、鳴りを潜める。過剰な期待という十字架を背負わされた男...
記事全文を読む→30代後半の野球選手にとって、最大の敵は衰えそのものではない。衰えを認められない自分である。若い頃の成功体験ほど、ベテランを縛るものはない。150キロ台の直球、広い守備範囲、フルスイング、盗塁、連投、完投。できていたことが、少しずつできなく...
記事全文を読む→けれど、どれほど豪華な世代にも、明暗はある。そもそもハンカチ世代という呼び名の中心にいた斎藤佑樹は、プロでは思うような結果を残せなかった。甲子園で社会現象になった投手が、プロで田中と同じ軌道を歩めなかったことは、この世代の物語に影を落として...
記事全文を読む→
