松坂世代が残した最大の遺産は、単なる成績ではない。もちろん、勝利数、本塁打数、セーブ数、奪三振数は素晴らしい。だが、それ以上に彼らが残したのは、「自分の役割から逃げない姿勢」だった。松坂は怪物として、世代そのものを背負った。杉内は左腕の技術...
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藤川球児は、松坂世代の中で最も“瞬間最大風速”のある選手だった。火の玉ストレートと呼ばれた直球は、単なる速球ではない。球速表示以上に、打者のバットの上を通過していくように見える異質な球だった。しかも藤川の凄みは、球種がわかっていても空振りを...
記事全文を読む→杉内俊哉は、松坂世代の中でも最も“職人の狂気”を感じさせる投手だった。豪速球でねじ伏せるというより、独特のフォーム、直球の伸び、チェンジアップ、内外の出し入れで打者を削っていく。NPB公式記録でも、2005年には18勝4敗、防御率2.11、...
記事全文を読む→破格の世代だった。時代の顔を背負うことのできる逸材が、これほど揃っていたとは。カリスマたちの競合は、それぞれが「自分の役割から逃げない」戦う姿勢を見せつけたことに醍醐味があった。昭和的な野球の匂いを醸す黄金世代の存在感。怪物・松坂を中心とし...
記事全文を読む→もちろん、身体は物語どおりには動かない。レッドソックス後半の松坂は故障に苦しみ、11年には右肘のトミー・ジョン手術を受けた。華々しかった最初の2年に対し、ボストンでの最後の4年間は登板回数も投球回も減った。怪物という言葉は、調子のいい時には...
記事全文を読む→80年度生まれには、和田毅、杉内俊哉、藤川球児、村田修一、館山昌平、新垣渚、小谷野栄一、東出輝裕ら、多士済々の顔ぶれがそろった。先発、抑え、強打者、守備の名手─。それぞれが異なる場所で球界の中心になり、のちに「黄金世代」と呼ばれるだけの厚み...
記事全文を読む→一人の高校生が「怪物」となった1998年―この夏は松坂大輔のものだった。桁外れであり続けることを課せられた重圧。松坂だけが世代を牽引したのではなく、のちの球界で輝く黄金世代の中で怪物はシノギを削っていたのだ。最後の「昭和的カリスマ」たちの軌...
記事全文を読む→そして藤浪の「高校最強」は、プロ入りと同時に消えた幻でもなかった。阪神では高卒1年目から3年連続で2ケタ勝利を挙げ、早い段階で一軍のエース格へ駆け上がった。その後の野球人生に浮き沈みがあったとしても、10代後半から20代前半に示した即戦力性...
記事全文を読む→一方、大谷翔平は同じ夏、岩手大会準決勝で当時の高校生最速となる160キロを計測した。ところが決勝で盛岡大付属に敗れ、夏の甲子園には届かなかった。速球の数字では日本中を驚かせながら、最後の全国の舞台にはいない。大谷の高校時代は、完成ではなく予...
記事全文を読む→夏の甲子園だけに限って、21世紀最高の投手は誰か─。この問いに対して、12年の藤浪晋太郎の名前を挙げたい。もちろん、候補は何人もいる。06年の斎藤佑樹と田中将大、16年の今井達也など。甲子園には、その夏だけ神話になる投手がいる。だが「支配力...
記事全文を読む→8月5日、夏の甲子園の開幕だ。日米球界に輝く大谷翔平、鈴木誠也も、この大舞台を目指した。94年度生まれの彼ら世代は、現在でこそ「大谷・誠也世代」と称される。だが当時の高校最強といえば、藤浪晋太郎だった。完成形と未完の大器たち─未来は大きく分...
記事全文を読む→引退後の斎藤は、意外なほど自然に次の場所へ移った。いや、自然に見えるだけで、そこにも彼なりの覚悟があったのだろう。現在は「株式会社斎藤佑樹」の代表として活動し、「野球未来づくり」を掲げている。公式サイトには、プロ野球のマウンドに立ち続けるこ...
記事全文を読む→斎藤のプロ通算成績は、89試合登板、15勝26敗、防御率4.34。甲子園の英雄、ドラフト1位、ハンカチ王子という肩書きからすれば、物足りない数字だと言われても仕方がない。本人も引退時のコメントで、期待に沿う成績を残せなかったという趣旨の言葉...
記事全文を読む→斎藤の道のりは、いかにも王道に見えた。早稲田実業から早稲田大学へ進み、10年ドラフト1位で北海道日本ハムファイターズに入団する。日本ハムの公式プロフィールでも、早稲田実業、早稲田大、北海道日本ハムという経歴と、10年ドラフト1位での入団が記...
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