犬養が総理大臣に担ぎ上げられたのは、浜口雄幸総理が狙撃され、その後の若槻礼次郎内閣が満州事変の勃発を機に総辞職を余儀なくされたことにあった。一方で、政界に圧倒的なにらみを利かせていた元老の西園寺公望が満州事変を憂慮、中国との話し合いのために...
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政治
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大正・昭和初期の戦前を通じてのわが国の政党内閣は、原敬に始まり、以後14年を経、この犬養毅(号・木堂(ぼくどう))の昭和7(1932)年5月15日の「五・一五事件」での暗殺をもって終焉することになる。その後、軍の力の台頭を許し、太平洋戦争終...
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32年には、満州国建国に消極的だった犬養毅首相が皇道派の青年将校に暗殺される(五・一五事件)。陸軍にいた実弟・秩父宮までもが、皇道派に思想への傾倒を示し、天皇親政の必要性について「憲法の停止もやむをえない」と発言したことから昭和天皇と激論に...
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