もう真夏の外出は、根性で乗り切る時代ではないらしい。気象庁は今年、最高気温40度以上の日を「酷暑日」と新たに決めた。猛暑日を超える暑さが日常化したことで、服そのものが冷却機器になる流れも加速している。これまでのファン付きウェアは「現場作業用...
記事全文を読む→実録・1万2000ページで読み解く「昭和天皇」激動の87年生涯-“天皇機関説”篇-(2)
32年には、満州国建国に消極的だった犬養毅首相が皇道派の青年将校に暗殺される(五・一五事件)。陸軍にいた実弟・秩父宮までもが、皇道派に思想への傾倒を示し、天皇親政の必要性について「憲法の停止もやむをえない」と発言したことから昭和天皇と激論になったとされている。
それ以降、昭和天皇は政治思想を持つ青年将校への警戒心を募らせていく。
4年後に陸軍の青年将校らが、クーデターを企て、政府の重鎮や軍首脳らを殺傷した二・二六事件が起こる。天皇は発生から3日間で側近を41回も呼び出し〈御自ら暴徒鎮定に当たる御意志〉を示した。その激高ぶりが伝わってくる。
天皇自身が支持した「機関説」を飛び越える高度な政治判断が求められる時代だった。蜷川正大氏はこう語る。
「私は天皇機関説には反対しています。陛下ご自身も、本来は自分がどう扱われたいかを口にすべきではなかったのではないかと思う。しかし、どんな政権においてもご皇室は日本国民の象徴なのです」
また「昭和天皇独白録」には天皇の発言として、次のような言葉がある。
「私は国家を人体に譬〈たと〉え、天皇は脳髄であり、機関と云ふ代わりに器官と云ふ文字を用ふれば、我が国体との関係は少しも差し支えないではないか」
帝国憲法第4条に「天皇は国の元首にして統治権を総攬〈そうらん〉し、憲法の条規によってこれを行う」とある。
「近代憲法を採用しているヨーロッパの君主国がどこでも同じように、元首は国家の機関です。戦後の教科書は、『明治憲法は天皇主権説』などとバカなことが書いてあります。主権説を唱えていたのは少数の憲法学者で、多くの憲法学者は機関説を支持していたというのが真実です」(高森氏)
実際、昭和天皇は大元帥という立場ながら軍事にまつわる重要事項を決める御前会議ではひと言も発さなかった。その慣例を破ったのが、危惧していた日米開戦を間近に控えた41年9月6日の御前会議だった。
〈かくては捨て鉢の戦をするにほかならず、誠に危険である〉
突然立ち上がった昭和天皇は明治天皇の和歌「よもの海みなはらからと思ふ世になど波風のたちさわぐらむ」を読み上げ、「平和愛好の御精神」を訴えた。
その意をくんだ政府首脳が交渉に臨むも、12月1日の御前会議で〈開戦の決定を已むを得ないこと〉として裁可。12月8日の真珠湾攻撃をもって、太平洋戦争が開戦した。その直前、昭和天皇は4歳下の弟・高松宮だけにこう語った。
〈敗戦の恐れありとの認識〉(11月30日)
進歩的な昭和天皇の目には、焦土と化す日本の悲惨な未来が見えていたのかもしれない。
アサ芸チョイス
ドジャース・大谷翔平の第二子誕生をめぐって、フェミニストを名乗る女性たちがSNS上で「多産DVだ」「年子出産は女性虐待だ」と騒いでいる。大谷夫妻は昨年4月20日に第一子誕生を報告、この6月20日に第二子誕生をアナウンスした。これら誹謗中傷コ...
記事全文を読む→一発出たら同点。3-7と4点をリードされて迎えた7回裏、二死満塁の場面。この日いちばんの勝負どころで、広島・新井貴浩監督がベンチから送り出した代打は捕手・石原貴規だった。結果は空振り三振。最大の山場でなぜ、より長打を見込める打者を送り込まな...
記事全文を読む→これはトレードのショーケースなのだろうか。そう思ってしまったのは、阪神タイガースの梅野隆太郎捕手が2軍から再昇格し、6月23日のヤクルト戦に即スタメン出場して攻守に高い能力を見せつけたことだ。1-0とリードした5回に二塁打を放ってチャンスメ...
記事全文を読む→
