74年にデビューし、「HERO」「安奈」などのヒット曲で知られる甲斐バンドが解散したのは、86年だった。その後たびたび「再結成ライブ」を行ってきたが、08年、ついにバンド活動に終止符を打つべく、「解散ライブ」と銘打った22年ぶりの全国ツアー...
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79年1月1日、新年の時報とともに、すべての民放から同じ曲が流れた。セイコーのCMに使われた「HERO(ヒーローになる時、それは今)」である。楽曲だけでなく、メンバーが映像に出演するインパクトもあり、初のチャート1位を獲得。まさしく、彼ら自...
記事全文を読む→西田四郎が甲斐の存在を知ったのは、チューリップの財津和夫から渡された1本のテープである。そして財津は告げた。「すぐにウチと契約したほうがいいよ」甲斐の獲得を巡っては、吉田拓郎やかぐや姫を擁した「ユイ音楽工房」も名乗りを上げた。それを「シンコ...
記事全文を読む→日本のロック史において、比類なき存在感を誇ったのが甲斐バンドだ。傷つき羽根折れそうな思いを詞に込め、強靭なサウンドとともに雄々しく立ち上がる。やがて前例のないライブ会場を次々と制覇し、後進たちに多大な影響を与えた。そして、誰よりも博多の街を...
記事全文を読む→恭平は、チャゲアスと同じく「博多第二世代」と呼べる、長渕剛とも親友である。「剛にも飛鳥にも共通するのは、ちゃんと女の子が共感できる歌を書けること。飛鳥にはレコードになっていない曲もたくさんあるけど、剛よりもさらに可能性を感じた」そして才能は...
記事全文を読む→西田は長渕とともに、博多にあるヤマハ系列のスタジオをデモテープ録りに使っていた。「その近くのそば屋から出前を取っていたんだけど、それを運んでいたのがデビュー前の永井龍雲だったんですよ」龍雲は長渕と同じ78年にデビューし、翌年にはグリコのCM...
記事全文を読む→その街は「日本のリバプール」と呼ばれ、全国のスカウトマンが“原石”を探しにやって来た。日本でも稀有なスターの産地、それが「博多」である。70年代のフォーク&ロックに始まった潮流はアイドルや演歌にも幅を広げ、今なお宝庫として君臨する。そんな歴...
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