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記事全文を読む→“日本のリバプール”博多スーパースター列伝<第6回>チャゲ&飛鳥(3)
恭平は、チャゲアスと同じく「博多第二世代」と呼べる、長渕剛とも親友である。
「剛にも飛鳥にも共通するのは、ちゃんと女の子が共感できる歌を書けること。飛鳥にはレコードになっていない曲もたくさんあるけど、剛よりもさらに可能性を感じた」
そして才能は、売れることによってさらに自信を深めていくのだと知らされる。
本名・宮崎重明が「飛鳥涼」と名乗ったのは、永井豪原作「デビルマン」の登場キャラから借用など諸説あるが、恭平にはこう伝えたという。
「本当は『飛鳥涼平』にしたかったんですが、恭平さんと似てしまうので涼にします」
恭平は後にCMの仕事を手がけるようになり、再び2人と接点を持ったのは90年のこと。
「僕が担当した『KCカード』が、2人にとって初めてのCM出演。92年まで続いて、その途中に『SAY YES』が大ヒット。通常なら契約金が跳ね上がるんだけど、2人は『恭平さんの仕事ですから』と言って、当初の金額のままで継続してくれた」
だからこそ昨年に起きた飛鳥の騒動は、恭平には理解しがたいものであるのだが‥‥。
さてチャゲアスがデビューした79年8月、入れ替わるようにプレイヤーを辞したのが「甲斐バンド」のベースだった長岡和弘である。博多の先輩でありながらミュージシャンとしての接点はなかったが、長岡はディレクターに転身してからチャゲアスを担当。
「彼らがワーナーからキャニオンに移籍することになり、それまで谷山浩子とかヤマハの担当が多かった僕が見ることになった」
長岡はヤマハに対し、シングル曲の選定はキャニオン側の意見を尊重してほしいと訴える。当時、シングル売上げが低迷していたこともあり、ヤマハ側も異存はなかった。
「そして86年2月に移籍第1弾で発売したのが『モーニングムーン』で、『万里の河』以来、5年ぶりのヒットになり、ホッとしました」
双方に「チャゲアスをアーティストとして大きくしたい」という悲願があっての共同作業であった。さらに長岡は、ASKAとしてのソロシングル「はじまりはいつも雨」(91年3月)にも後方支援をする。
「僕が長らく担当した斉藤由貴の映画『おいしい結婚』(東宝)の主題歌を探していた。岡村孝子はどうかという話もあったけど、僕が『ASKAのほうがいい』って推薦しました」
パナソニックのCMとの相乗効果もあり、ソロでもミリオンセールスを記録。以降、チャゲアスは社会現象を巻き起こすが、今現在、活動再開は中断したままだ。音楽シーンでも屈指の才能を誇る男たちが休眠したままなのは、あまりにも惜しい──。
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