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記事全文を読む→萩本欽一「坂上二郎さんから運命の日の電話」(2)
熱海から帰ったその日に連絡
僕はその後「浅草新喜劇」という劇団を作り、その舞台をTBSテレビの向井さんというディレクターがたまたま観ていてくれて、テレビ出演の道が開けます。
僕はテレビの生CM出演のチャンスに、NG19回という大失敗をし、一時期は自殺さえ考えました。
そんな僕に、
「バカなことを考えるな!オレは今、熱海の『つるやホテル』でフロアショーの司会をやってるんだけど、芸人を1人探してるんだ。熱海に来いよ」
そう誘ってくれたのが「浅草新喜劇」で一緒だった先輩の小田憲司さんです。
熱海での生活は楽しかったですし、「やっぱり、僕には舞台が一番なんだ。テレビに出ようと思ったのは間違いだったんだ」と思いました。
熱海ではショーでコントをやりながら、いろんなネタを考えました。次から次へと湧いてくるコントネタ。
「浅草に戻ろう。浅草に帰って、このネタをやるんだ!」
居ても立ってもいられず、浅草の下宿に戻った僕。
「人生っておもしろいなぁ」と思ったのはその時です。
下宿に帰って1時間もたたないうちに電話がリ~ン。
「フランス座」で、口も利かなかった二郎さんからの電話でした。
これはあとで知ったんですが、二郎さん、当時は埼玉・西川口のキャバレーで司会の仕事をしていました。
ただ、本人がやりたいのはお笑いの芸。でも、相棒もチャンスもない。おまけに二郎さんはその頃、結婚していて奥さんは妊娠中。
仕事にも満たされず、二郎さんとしては、悶々の毎日だったようです。
「浅草の『フランス座』でコントをやってた時が懐かしいなぁ」
そう思ったら僕の顔が浮かんできたというのです。
「萩本欽一かぁ。アイツとは舞台でいつもやり合ってた。お互い、口も利かなかったもんなぁ。でも、オレも頑張ってたけど、アイツの頑張りも凄かった。懐かしいなぁ‥‥。照れ臭いけど電話してみるか」
そう思った二郎さんが電話をしてきたちょうどその日に、僕は熱海から帰って来ました。
熱海には2カ月いましたから、僕がいない時に電話があったとしても、二郎さんは「留守か」とか、「引っ越してこの電話番号じゃないんだなぁ」と思い、二度とかけてこなかったでしょう。
熱海から帰って来たその日の電話。運命的なものを感じますし、「人生って不思議だなぁ」と思います。
帰って来た次の日の電話だったとしたら、恐らく電話に出ても、僕は二郎さんとコンビを組んでいたかどうか‥‥。
熱海で考えたコントネタを1日も早くやりたくて浅草に帰った僕です。その日のうちに劇場に行き、1人で演じるつもりで、下宿に戻って1時間後には劇場に行こうと思ってたやさきの二郎さんからの電話です。
「何してるの?」
二郎さんの電話の第一声でした。
「何にもしてない。今、熱海から帰って来たばかりなの」
「それじゃあさ、マージャンでもしようよ」
すぐに二郎さんの家に行きました。奥さん、すごく大きいおなかをしてるんです。臨月近かったんでしょう。
「子供も生まれるし、オレ、このままじゃダメなんだ。何かしなくちゃいけないと思ってるんだ」
「フランス座」時代、あんなに僕をいじめた二郎さんが、素直に僕の前で苦悩を打ち明けます。
「二郎さん、コンビを組んで一緒にコントをやろう!」
「コント55号」の誕生です。
それにしても、人生の出逢いって、何とも不思議ですね。
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