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記事全文を読む→田中マルクス闘莉王「超攻撃的センターバック」になったのは「FWがダメだったから」の爆笑理由
サッカー元日本代表の田中マルクス闘莉王が前園真聖氏のYouTubeチャンネルに出演し、プロサッカー選手として活躍するまでの半生を語った。
闘莉王はブラジルで13歳にして仕事をしていたという。朝の8時から午後6時まで仕事をし、夜は学校に通う毎日。サッカーは土日しかできなかったが、近くの街のサッカークラブのテストに合格。その頃、ブラジルで行われた渋谷教育学園幕張高等学校のセレクションを受けて選ばれ、母親の反対を押し切って日本へ。地球の裏側へ行くのは抵抗もあったが、闘莉王は、
「日本に来たらおこずかいをくれるって言うんですよ。その額は働いていた時の4倍ぐらい。もともとサッカーをしたかったし、夢があるから日本に行きました」
高校3年間でサッカー選手として成長した闘莉王は複数のJリーグクラブからオファーがあり、その中からサンフレッチェ広島を選択。その理由は、
「帰化する前で外国人選手とポジション争いをすることになるので、広島の外国人選手だったら勝てると思って選んだ」
と、なんともしたたか。闘莉王が入団する前年の広島の外国人選手は、オーストラリア人のフォックスとポポヴィッチ、コリカの3人と、ポルトガル人のミゲル。闘莉王が勝てると思ったのも無理はない。
だが、3人の外国籍選手枠に入れず、2003年に水戸ホーリーホックにレンタル移籍。ここで「超攻撃的センターバック」として花開く。
「水戸の前田秀樹監督は僕が好きだった攻撃参加をさせてくれる。ただ、前の選手がまったく点を取れない。0点の試合が多くなってこれじゃダメでしょということで、ボールを持ったら攻撃参加して、上がったらボールよこしてくれと。それから点が入るようになり、ディフェンダーで10点も取ることができた」
と闘莉王。その活躍が認められ、翌年には浦和レッズに移籍。アテネ五輪の出場も果たす。10年にはW杯南アフリカ大会の代表にも選ばれた。日本代表としての通算得点はセンターバックとしては多い8点。そんな攻撃的センターバックの誕生が、「前が点を取れないから」とは面白いものだ。
(鈴木誠)
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