司組長の六代目襲名後に東京や宮城、埼玉などで抗争に発展した住吉会とも、西口茂男総裁と司組長との個人的な交誼をきっかけに緊張緩和が進展する。16年9月には、横浜市内の中華料理店において、稲川会・清田次郎会長(当時)の働きかけで、司組長と住吉会...
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05年、司六代目体制が発足すると、同年のうちに山口組はより他団体との連携を強めていく。司組長が五代目会津小鉄会・図越利次会長と代紋違いの兄舎弟盃を結び、東亜会(現・東声会)、双愛会、二代目福博会などの諸団体を後見することになった。このほか、...
記事全文を読む→山口組は長年、ヤクザ社会の「戦争と平和」の両面を主導し続けてきた。全国制覇を標榜していた田岡三代目率いる山口組は、横浜に傘下の先鋭部隊を進出させ「麻薬追放国土浄化同盟」の支部を開設するなど、関東組織と一触即発の緊張をもたらした。その三代目山...
記事全文を読む→まもなく山口組中興の祖である田岡一雄三代目の祥月命日が訪れる。ドンの死から45年が過ぎようとしているが、六代目山口組が頑ななまでに守り抜く三代目時代からの教えがある。それはヤクザ業界の「共存共栄」だ。司忍組長が進化させ続けている山口組と他組...
記事全文を読む→22年に楠本組員の供養のため、祥月命日に絆會幹部とともに、池田組(池田孝志組長)と神戸山口組の幹部たちが現場を訪れ、手を合わせたことがあった。絆會と「神戸」との間には深い亀裂があったが、供養をきっかけに両者の関係修復を図り、「三派同盟」を目...
記事全文を読む→まさか生きていたとは─。ヤクザ社会中が驚愕する捕物が報じられた。約9年前に絆會系組員を射殺し、忽然と姿を消した神戸山口組のヒットマンが3000日を超える逃亡の果てに逮捕されたのだ。自身の組織も被害者の組織も今や同じ六代目山口組傘下に。現代版...
記事全文を読む→翌20日には、与論島で震度5強の地震が発生、沖縄本島も震度3に見舞われたが、偲ぶ会は予定通り粛々と進められた。この日は西日本の団体から弔問客が集まった。道仁会(福岡)・福田憲一会長、三代目熊本會・森原秀徳会長が姿を見せ、太州会(福岡・日高博...
記事全文を読む→大安吉日の5月24日、三重県津市の四代目弘道会傘下組事務所で十一代目稲葉地一家の盃直し儀式が執り行われた。約10年に及んだ分裂抗争でヒットマンを複数輩出し、敵対組織の切り崩しにも奔走した組織の新たな船出に密着した。儀式に先駆けた同13日に、...
記事全文を読む→六代目山口組の沖縄弔問から3日後の5月22日、竹内若頭の姿は沖縄から約2100キロ離れた東京・品川駅にあった。極秘上京の目的とは─。情報を聞きつけて向かったJR品川駅構内の新幹線北口改札前では、午前10時半頃に組員と思しき複数名の集団が、警...
記事全文を読む→突然の訃報から1カ月、沖縄ヤクザを束ねていた旭琉會・糸数真会長を「偲ぶ会」が挙行され、全国の親分衆が沖縄に集まった。その模様に密着するとともに、時期を同じくして起きていた業界の注目事項を独占取材。六代目山口組とその中核団体・弘道会にいったい...
記事全文を読む→以後も当局との苛烈なつばぜり合いは続く。渡辺組長から名門の譜を継いだのが、三代目山健組・桑田兼吉組長である。五代目山口組でも若頭補佐として執行部の一角を占めた桑田組長は、「97年に同じ山健組出身である中野会・中野太郎会長の配下が起こした宅見...
記事全文を読む→振り返れば、田岡一雄三代目の時代から「山口組の保守本流」とされてきた山健組は、当局からのマークが特に厳しく、必要以上の弾圧に襲われてきた。ジャーナリストが言う。「田岡三代目の懐刀として長く若頭を務めた山健組初代・山本健一組長は『田岡親分の日...
記事全文を読む→分裂抗争にあって異彩を放つ銃撃事件に司直の回答が示された。事件後、六代目山口組に帰参した山健組・中田浩司組長に対し、一審に続き二審でも無罪判決が下されたのだ。山口組内で重要な組織であり続けた山健組で繰り返された、トップと当局との“闘争史”に...
記事全文を読む→いわば、10年に及んだ分裂抗争から脱して「最強の菱軍団」を再生させることが、竹内若頭を中心とした執行部が繰り出す変革の狙いなのだ。それは外交の現場にも如実に表れている。就任後、親戚友好団体の継承式には、いずれも竹内若頭が後見人として参列。そ...
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