企画会議は毎週月曜日に行われた。前週の視聴率は発表されており、低ければ会議は修羅場と化す。「数字が悪いと、貴明さんが会議に来られてスタッフにハッパをかけてくれます。まさに現場のリーダーで、われわれの兄貴分でした。数字至上主義の当時、数字が悪...
記事全文を読む→佐々木敦規
「外部D一期生」として尋常ではないプレッシャーがかかったのは、「みなさん~」の企画会議だった。「『みなさん~』の後半は『新・食わず嫌い王決定戦』という絶対的な人気コーナーが控えてます。番組や映画、イベントの宣伝名目で、普段はバラエティーに出...
記事全文を読む→佐々木にとって「とんねるず」は、思い入れのある存在だった。「ザ・ドリフターズ、『THE MANZAI』『オレたちひょうきん族』などテレビの人気お笑い番組はすべて見てきて、たまたま『TVジョッキー』(日本テレビ系)で、とんねるずになる前の素人...
記事全文を読む→およそ30年間にわたってフジテレビのゴールデンタイムを「みなさんのおかげです/でした」で席巻したとんねるず。超大物コンビと対峙できる外部ディレクターが求められる中、佐々木に白羽の矢が立つ。理論的な石橋貴明と、感性と発想の木梨憲武。両雄との仕...
記事全文を読む→その後、格闘ビジュアルクイーンは畑野浩子、長谷川京子、東原亜希、西山茉希に代替わりし、この重職を経た彼女たちは、人気タレントの道を歩んでいく。「藤原紀香が『格闘技キャスターから女優、タレント』という道を作り、長谷川京子やPRIDEの小池栄子...
記事全文を読む→佐々木が「もう一人の功労者」として挙げるのは、「初代格闘ビジュアルクイーン」の藤原紀香だ。「田代さんに代わるタイミングでMCを刷新する考えもあった中で、紀香は残すべきだと僕は強く思っていました。K-1のメジャー化を見据えていたプロデューサー...
記事全文を読む→お笑い、料理、情報、ニュース等、ジャンルを問わず「おもしろいと思ったら何でも挑戦した」佐々木が長く関わってきたのが、格闘技だ。こちらも別のプロデューサーからの誘いに始まる。「95年の年末に『プロ野球ニュース』の企画コーナーで初めてK-1を扱...
記事全文を読む→無茶苦茶だけど、おもしろくなりそうだ─こう思える企画に関して、フジテレビの間口は広かった。局員、制作会社、フリーの区別なく話を聞く。格闘技+バラエティーで大人気を博した「SRS」も、そうした空気ゆえの結実だ。「K-1」人気の高まりとともに番...
記事全文を読む→佐々木は過酷なロケと地獄の編集作業をやり切ったのち、大学を卒業。社会人ADとしてレギュラー番組を持つようになり、しばらくお笑いウルトラクイズから離れた。ディレクターに昇格して、番組に戻ってきたのが第10回(92年10月放送)。この時、九死に...
記事全文を読む→テリー伊藤たちが考えためちゃくちゃな企画をいかに実現させて、たけしを笑わせて満足させるか。極めて困難なミッションに真っ先に挑戦する“集団”の存在を、佐々木は鮮明に覚えている。「たけし軍団は本当にすごかったです。メンバーは『たけしさんが喜ぶツ...
記事全文を読む→秒刻みのスケジュールに追われながら進むロケ。その中で、佐々木には今でも忘れられない会話がある。クイズ番組だから正解か不正解かの判定は重要だ。本番中、佐々木はある問題の答えに疑問を抱いた。「その場では『正解!』で進んでしまったんですけど、『そ...
記事全文を読む→今なら確実に労働環境やコンプライアンスを理由に叩かれるだろうが、バラエティーの制作現場は“地獄”だった。佐々木はその洗礼を日本テレビ「ビートたけしのお笑いウルトラクイズ‼」で受けた。おもしろければ何やってもいい‼ ─異才たちのエネルギーが無...
記事全文を読む→ももクロの人気爆発とともに、ライブの規模も年々拡大していく。10年12月の日本青年館では満員となる1200人が結集。翌年の「ももいろクリスマス2011」はさいたまスーパーアリーナに1万人を集め、12年「ももクロ春の一大事2012~横浜アリー...
記事全文を読む→佐々木敦規、59歳。大学在学中から制作会社のADとしてテレビ番組制作に携わってきた。ディレクターに昇格すると、フジテレビで料理番組、K-1格闘技中継、バラエティー、ドキュメンタリー、情報番組なども担当した。転機となったのは「アイドル道」(C...
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