今年2025年3月6日の大田区総合体育館大会で、新日本プロレスは旗揚げ53周年を迎えた。全日本プロレスも、10月22日には53周年を迎える。振り返ると日本のプロレス界は、53年前の72年にアントニオ猪木が新日本、ジャイアント馬場が全日本を旗...
記事全文を読む→アントニオ猪木
テリー猪木さんと最後にお会いできたのは?藤原亡くなる1年ぐらい前かな。猪木さんのユーチューブに呼ばれて行ったんだよ。でも猪木さんすごいよ。それまでぐったりしてたのにカメラが回った途端にシャキッとするんだな。テリーやっぱりスターですよね。どん...
記事全文を読む→テリー付き人の時って休みはあったんですか。藤原シリーズとシリーズの間の2週間かな。その半分ぐらいは自由な時間だったよ。でも、休みの日だって、急に電話が鳴ったりするからな。それに備えて、いつでも臨戦態勢だよ。テリーそういう生活の中で猪木さんか...
記事全文を読む→テリー実際に何回かふっ飛ばされてましたよね。一発目なんか組長、そのまま倒れてたじゃないですか。藤原そう。すごかったんだよ。バーンってふっ飛ばされてさ。でも「これ後ろに回ったら、ひょっとすると何とかなるかな」と思ったんだけど、2回目ふっ飛ばさ...
記事全文を読む→プロレスラーとして一時代を築き、硬派なキャラクターで「組長」としてバラエティー番組でも活躍した藤原喜明。実は天才テリーとも浅からぬ因縁があった!組長が今でも忘れられないその出来事とは?師匠・アントニオ猪木への愛が炸裂した一本勝負のゴングが鳴...
記事全文を読む→今から25年ほど前のこと、格闘技界に驚きの事態が起きた。アントニオ猪木に近い関係者から「マイク・タイソンから異種格闘技の対戦オファーが届いている」との情報を得たのである。タイソンはボクシングの元ヘビー級世界王者。猪木は1998年に引退してい...
記事全文を読む→武藤敬司、小島聡、ケンドー・カシンが2002年1月31日付で新日本プロレスを退団。3人はフリーとなったが、全日本プロレスに行くのは明白だった。その翌日の2月1日、新日本の札幌・北海道立総合体育センターで蝶野正洋が仕掛けた。武藤らの退団の大き...
記事全文を読む→「格闘王」こと前田日明が、UWFをともに引っ張ってきた高田延彦と不仲になったきっかけを明らかにした。8月11日の「有吉ぃぃeeeee!~そうだ!今からお前んチでゲームしない?」(テレビ東京系)に出演すると、誕生日を迎えたトシ(タカアンドトシ...
記事全文を読む→東京で京王電車に乗った海外観光客は「アントニオ猪木が電車の中にたくさんいて、驚いた」と目を丸くした。京王電鉄は6月16日から、車内の広告全てにプロレスラーの故アントニオ猪木が登場する特別電車「闘魂トレイン」の運行を始め、中吊り広告に試合場面...
記事全文を読む→正月早々、プロレス界を揺るがす前代未聞の事件が勃発したのは、1999年1月4日の新日本プロレス東京ドーム大会だった。詰めかけた6万人の大観衆が見つめる中、新日のエースで「破壊王」として知られる橋本信也に挑戦状を叩きつけたのが、アントニオ猪木...
記事全文を読む→1998年下半期、全日本プロレスでは現場の全権がジャイアント馬場から三沢光晴に移り、選手たちが自己主張する三沢革命がスタートした。一方で新日本プロレスは、アントニオ猪木が立ち上げた世界格闘技連盟UFOとの関係に頭を悩まされていた。6月5日の...
記事全文を読む→1997年は新日本プロレスにとって、平成の絶頂期と言っても過言ではなかった。5大ドームツアー(東京2回、ナゴヤ、大阪、福岡)を成功させ、年間134試合で70万8464人の観客を動員したのである。ライバル団体の全日本プロレスも年7回の日本武道...
記事全文を読む→バルセロナ五輪(1992年)で銀メダルを獲得した元柔道家で、のちに総合格闘技、プロレスの道に転身した小川直也が自身のYouTubeチャンネル〈小川直也のハッスルチャンネル〉で、「暴走王」の異名を取った「1.4事変」を振り返った。1999年1...
記事全文を読む→全日本プロレスがジャンボ鶴田VS超世代軍から三沢光晴、川田利明、田上明、小橋健太(現・建太)の四天王時代に移行する1992~93年、新日本プロレスも新たな展開を迎えた。天龍源一郎率いるWARとの対抗戦である。天龍が90年春に全日本を退団して...
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