1980年代、ショー的な要素を排除したUWFがプロレスの価値観を揺さぶったが、90年代にプロレス界に衝撃を与えたのは、93年11月12日に米コロラド州デンバーで初開催された“何でもあり”の格闘技大会UFC(アルティメット・ファイ...
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1991年1月7日、ショー的要素を排除した格闘技プロレスとして世間一般でもブームとなったUWFが、前田日明の突然の解散宣言によって3派に分裂するという事件が起こった。藤原喜明は2月4日に船木誠勝、鈴木みのるらと新UWF藤原組(のちにプロフェ...
記事全文を読む→68歳になった今も、電流爆破デスマッチを売り物にしている大仁田厚。左膝蓋骨複雑骨折(膝の皿が5つに割れる重傷)が完治せず、1985年1月3日に27歳の若さで全日本プロレスを引退したが、89年10月にFMWを旗揚げした後にデスマッチ路線で&l...
記事全文を読む→元号が平成に変わる前年の1988年(昭和63年)、プロレス界は一足先に新時代に突入した。前田日明が旗揚げした新生UWFが社会現象と言ってもいいほどの大ブームになったのだ。前田は84年3月に新日本プロレスを飛び出して旧UWFの旗揚げに参加。旧...
記事全文を読む→1986年春から88年春まで2年間続いた新日本プロレスとUWFの対抗戦はファンを熱狂させるも、アントニオ猪木と前田日明の頂上対決は遂に実現しなかった。新日本とUWFの闘いは、いつプロレスの範疇を超えてもおかしくない緊張感が魅力だったが、最終...
記事全文を読む→1980年代後半から90年代初頭にかけて、日本プロレス界はUWFブームに沸いた。見せる要素を排除して打撃と関節技で決着をつけるスタイルは、従来のプロレスに物足りなさを感じていたファンから「これぞ真剣勝負!」と絶賛され、新日本プロレスも旧ソビ...
記事全文を読む→1990年代後半から2000年代初頭にかけて、新日本プロレスはオーナーのアントニオ猪木の介入によって格闘技路線にシフトしていったが、それに反発したのが現場責任者の長州力だ。「もう僕は会長(猪木)と一緒にやっていくっていうものには足が出ていか...
記事全文を読む→今、日本全国でクマ被害が急増して深刻な問題になっているが、かつて“クマ殺し”の異名で格闘技ファンの注目を浴びたのが、極真空手コネチカット支部に所属していたウィリー・ウィリアムスである。ウィリーの名前が知れ渡ったのは1976年12...
記事全文を読む→1976年6月26日、日本武道館で行われたプロボクシングWBA&WBC統一世界ヘビー級王者モハメド・アリとの格闘技世界一決定戦により、アントニオ猪木の名前は全世界に知られるようになった。猪木のもとには世界中から挑戦状が殺到。77年4月に「我...
記事全文を読む→1976年6月26日、日本武道館で行われたアントニオ猪木とプロボクシングWBA&WBC統一世界ヘビー級王者であり、プロスポーツ界のスーパースターだったモハメド・アリの異種格闘技戦は全世界から注目を浴びたが、まったく嚙み合わないまま15ラウン...
記事全文を読む→プロレスVS格闘技の最大の戦いは1976年6月26日、日本武道館で実現したアントニオ猪木とプロボクシング世界ヘビー級王者モハメド・アリの格闘技世界一決定戦である。「今世紀最大のスーパーファイト」と謳われた一戦は、全米170カ所、カナダ15カ...
記事全文を読む→現在の総合格闘技の原型とされるバーリ・トゥード(ポルトガル語で「何でもあり」の意味)が日本で注目されるようになったのは、1993年11月12日に米国コロラド州デンバーで開催された格闘技大会「アルティメット・ファイティング・チャンピオンシップ...
記事全文を読む→頭の回転の速さでおよそ外国人とは思えぬボケをかまし、バラエティー番組に出ずっぱりだったのが、ボビー・オロゴンだ。ところが2020年5月、自宅で妻の頬を叩いたとして埼玉県警に暴行の現行犯で逮捕され、妻が「長年、DV被害を受けてきた」と告白した...
記事全文を読む→プロレスラーと他の格闘技者が激突する、異種格闘技戦が本格スタートとなったのは1976年2月6日、日本武道館で実現したアントニオ猪木と72年ミュンヘン五輪で重量級と無差別級の2階級金メダルに輝いた柔道世界一のウィレム・ルスカの一戦だ。21年(...
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