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Posted on 2025年09月21日 18:00

「プロレスVS格闘技」大戦争〈日本の異種格闘技戦は黒船来航の翌年 日本人初のプロレスラーは明治に誕生した〉

2025年09月21日 18:00

 現在、プロレスは勝負と観る者を楽しませる観客論が両立する、スポーツ・エンターテインメントとして認知されるようになったが、かつては「真剣勝負か? 八百長か?」と取り上げられることが常だった。

 そんな世間と戦い、72年ミュンヘン五輪柔道金メダリストのウィレム・ルスカやプロボクシング世界ヘビー級王者モハメド・アリなど、他の格闘技との異種格闘技戦を推進したのがアントニオ猪木だ。プロレスの歴史は、真剣勝負とされる格闘技との戦いでもあった。

 日本のプロレスの夜明けとされるのは力道山がベン&マイクのシャープ兄弟を招聘してプロレス国際試合を開催した1954年2月だが、それより100年も前の1854年‥‥嘉永7年2月に、横浜で日本人力士とアメリカ人レスラーが対戦した記録が残されているのだ。ペリー提督の黒船が浦賀に来航した翌年である。

 ペリー艦隊が再度来航した際、江戸力士たちは幕府がペリーに贈った白米200俵を浜辺から船に積み込む任務を担い、その後に日本の力士の強さをアピールするために、稽古相撲で激しいぶつかりのデモンストレーションを見せた。

 それを目の当たりにした水兵たちが「我々の中にはボクシングやレスリングの選手がいる。力士のチャンピオンと戦いたい」と挑戦を申し出、東の大関(当時の最高位)の小柳常吉がレスラーのウイリアムとブライアン、ボクサーのキャノンを3人掛けで撃破。ペリー提督もそれを目撃していたはずだ。

 1859年7月に横浜が開港すると、外国人のレスラーやボクサーが横浜巡業にやってきた力士たちに挑戦して異種格闘技戦を展開したという話がいくつも生まれ、「横浜角力の誉」などの当時の横浜絵には力士が力自慢の外国人を投げ飛ばす様が描かれている。

 日本人初のプロレスラーは伊勢ヶ浜部屋の序二段力士だった荒竹寅吉(本名・松田幸次郎)だ。1883年(明治16年)3月、山響部屋の序二段力士だった戸田川庄五郎(本名・浜田庄吉)とともに、海外渡来の芸人募集に応募。脱走の形で渡米し、レスリングを学んで1年後の1884年3月10日、ニューヨークで英国人レスラーのエドウィン・ビッピー相手にソラキチ・マツダ(現地の発音でトラキチがソラキチになった)としてプロレス・デビューしたのである。

 ビッピーはランカシャー流レスリングの強豪として各国のレスラーたちの挑戦を次々に退けていたが、そこにマツダが挑戦。

「日本の相撲チャンピオンがビッピーに相撲ルールで挑む」と煽り立てられた一戦は、ゴング早々にマツダがぶちかましでビッピーを吹っ飛ばして、その背中をロープに押しつけると「俺の勝ちだ」と、押し出しでの勝利をアピール。呆気ない秒殺にブーイングが起こって再試合となったが、マツダは相撲の超珍手「たすき反り」で再び勝利。4月には日本の「開花新聞」でも報じられた。これが日本最初のプロレス記事といっていいだろう。

 マツダと一緒に渡米した戸田川は、自分がプロレスラーに向いていないことを早くから悟り、語学の才能を生かしてマネージャーやプロモーターなどのバックステージの道を選んで「ショウキチ・ハマダ」としてリング外で名を馳せるようになり、1887年5月にプレーイング・マネージャーとなって計13人のプロレスラー、プロボクサー、レフェリーを連れて横浜港に帰国。「欧米大相撲」と称して日本初のプロレス興行を年末まで東京、京都、徳島などで開催した。

 レスラーはラスラ、ボクサーはスパーラ(スパーリングをする人の意味)と称してアメリカ直輸入のプロレス、ボクシングを披露したものの、プロレスもボクシングも日本人には理解されず、興行はことごとく失敗に終わり、その後の浜田の消息は不明だ。

 一方、デビュー戦から話題を集めたマツダはデビューから2年後の1885年2月17日、米国永住権を取得してアメリカ人女性エルラ・ボンソール・ロッジと結婚。その記事は同年4月に東京横浜毎日新聞に掲載された。

 ソラキチ・マツダの活躍によって「マツダ」は〝強い日本人〟の代名詞となってアメリカに広まった。

 その後、大正時代にアメリカで活躍して1923年(大正12年)頃に世界ジュニア・ウェルター級王者になったマティ・マツダ(本名・松田万次郎)、1964年(昭和39年)7月に日本人初のNWA世界ジュニア・ヘビー級王者になったヒロ・マツダ(本名・小島泰弘)と、「マツダ」は海外で活躍する日本人レスラーの一大権威となった。本名が小島のヒロ・マツダは偉大なる先人2人にあやかったのだろう。

 日本人プロレスラー第1号のソラキチ・マツダは1891年8月16日、ウィルス性感染症によりニューヨークで死去。まだ32歳の若さだった。

 日本のプロレスの開祖と呼ばれる力道山がプロレスラーになるのは、それから60年後の1951年10月のことである。

文・小佐野景浩(おさの・かげひろ)元「週刊ゴング」編集長として数多くの団体・選手を取材・執筆。テレビなどコメンテーターとしても活躍。著書に「プロレス秘史」(徳間書店)などがある。

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