フワちゃんのプロレス再デビュー戦が行われた2025年12月29日、スターダムの両国大会には多くの芸人が駆け付けている。しかしその中には、のっぴきならない観客がいた。麒麟の川島明は「ラヴィット!」(TBS系)で共演する上谷沙弥のタイトルマッチ...
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2024年8月2日、やす子が行った〈やす子オリンピック生きてるだけで偉いので皆優勝でーす〉とのX投稿に対し、フワちゃんが〈おまえは偉くないので、死んでくださーい予選敗退でーす〉と引用リポストした。そのスクリーンショットが拡散され、大炎上とな...
記事全文を読む→1980年代、ショー的な要素を排除したUWFがプロレスの価値観を揺さぶったが、90年代にプロレス界に衝撃を与えたのは、93年11月12日に米コロラド州デンバーで初開催された“何でもあり”の格闘技大会UFC(アルティメット・ファイ...
記事全文を読む→小佐野でもSWSが出てきたことによって日本のプロレス界がそれまでの「馬場商店」「猪木商店」から企業に成熟しましたよね。藤波さんも99年6月には坂口さんを継いで新日本の社長になりました。当時の新日本は橋本真也VS小川直也で橋本が事実上KOされ...
記事全文を読む→小佐野馬場さんと猪木さんは後継者育成でも争っていて、全日本は72年ミュンヘン五輪レスリング代表のジャンボ鶴田、新日本も同じミュンヘン五輪代表の長州力をスカウトしましたが、叩き上げの藤波さんはどう感じていましたか?藤波“すごいなあ...
記事全文を読む→新日本プロレスと全日本プロレスによる半世紀に及ぶ闘争は、まさに日本プロレス史そのものである。その渦中、ど真ん中に身を置いていた藤波辰爾と、単行本を上梓した小佐野景浩氏が対談で語り尽くした。昨年末のイベントで飛び出した秘話の数々を再録する!小...
記事全文を読む→1991年1月7日、ショー的要素を排除した格闘技プロレスとして世間一般でもブームとなったUWFが、前田日明の突然の解散宣言によって3派に分裂するという事件が起こった。藤原喜明は2月4日に船木誠勝、鈴木みのるらと新UWF藤原組(のちにプロフェ...
記事全文を読む→68歳になった今も、電流爆破デスマッチを売り物にしている大仁田厚。左膝蓋骨複雑骨折(膝の皿が5つに割れる重傷)が完治せず、1985年1月3日に27歳の若さで全日本プロレスを引退したが、89年10月にFMWを旗揚げした後にデスマッチ路線で&l...
記事全文を読む→元号が平成に変わる前年の1988年(昭和63年)、プロレス界は一足先に新時代に突入した。前田日明が旗揚げした新生UWFが社会現象と言ってもいいほどの大ブームになったのだ。前田は84年3月に新日本プロレスを飛び出して旧UWFの旗揚げに参加。旧...
記事全文を読む→1986年春から88年春まで2年間続いた新日本プロレスとUWFの対抗戦はファンを熱狂させるも、アントニオ猪木と前田日明の頂上対決は遂に実現しなかった。新日本とUWFの闘いは、いつプロレスの範疇を超えてもおかしくない緊張感が魅力だったが、最終...
記事全文を読む→1980年代後半から90年代初頭にかけて、日本プロレス界はUWFブームに沸いた。見せる要素を排除して打撃と関節技で決着をつけるスタイルは、従来のプロレスに物足りなさを感じていたファンから「これぞ真剣勝負!」と絶賛され、新日本プロレスも旧ソビ...
記事全文を読む→1990年代後半から2000年代初頭にかけて、新日本プロレスはオーナーのアントニオ猪木の介入によって格闘技路線にシフトしていったが、それに反発したのが現場責任者の長州力だ。「もう僕は会長(猪木)と一緒にやっていくっていうものには足が出ていか...
記事全文を読む→先週に続いて、今週も「ヤング龍二」の続きを。小学6年生の時、学校の行事で合唱コンクールが開催されることになったんです。合唱コンクールは授業ではありませんので、放課後にみんなで練習しなきゃいけません。当時、僕は落合学院という進学塾に通っていま...
記事全文を読む→今、日本全国でクマ被害が急増して深刻な問題になっているが、かつて“クマ殺し”の異名で格闘技ファンの注目を浴びたのが、極真空手コネチカット支部に所属していたウィリー・ウィリアムスである。ウィリーの名前が知れ渡ったのは1976年12...
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