プロレスVS格闘技の最大の戦いは1976年6月26日、日本武道館で実現したアントニオ猪木とプロボクシング世界ヘビー級王者モハメド・アリの格闘技世界一決定戦である。「今世紀最大のスーパーファイト」と謳われた一戦は、全米170カ所、カナダ15カ...
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─今、天龍プロジェクトの大会に車イスでファンの前に出ていますが、そこに思うところはありますか?天龍それは今の俺のエネルギー源ですよね。人前に出ていけば「シャキッとしなきゃいけない俺」っていうのが芽生えるし、話してることによって、何かを模索し...
記事全文を読む→─入院中の9月30日に、親友の三遊亭円楽さんが亡くなりました。天龍楽ちゃんは銀座でお金を使って、羽振りのいいとこ見せて、自分の弟子たちが気持ちを鼓舞できるように振る舞っていた。自分の命を縮めて上に立ってやってたんだなとつくづく思いますね。俺...
記事全文を読む→─「滑舌が悪い」ということで引っ張りダコになった時期もありました。天龍あれはね、俺が土台を築いたところで長州力にそのまんま持っていかれたからね(苦笑)。─それでも17年には、娘さんの紋奈さんが結婚されるなど、公私ともに順調だったと思います。...
記事全文を読む→引退から早10年、リングを降りてもなお次々と「過酷な道」が待ち受けていた。畑違いの芸能界、愛妻の死、病魔との闘い─。日本人で唯一、馬場・猪木の両巨頭からピンフォール勝ちを収めたミスター・プロレスが、己の宿命を激白する。─天龍さんは2015年...
記事全文を読む→プロレス界の台風の目として猛威を振るうように躍動中なのが、6月にプロレス団体DDTに入団した武知海青だ。LDH JAPANのダンス&ボーカルユニットTHE RAMPAGEのメンバーでもあり、異色の「二刀流レスラー」の誕生だった。武知が参戦し...
記事全文を読む→現在の総合格闘技の原型とされるバーリ・トゥード(ポルトガル語で「何でもあり」の意味)が日本で注目されるようになったのは、1993年11月12日に米国コロラド州デンバーで開催された格闘技大会「アルティメット・ファイティング・チャンピオンシップ...
記事全文を読む→プロレスラーと他の格闘技者が激突する、異種格闘技戦が本格スタートとなったのは1976年2月6日、日本武道館で実現したアントニオ猪木と72年ミュンヘン五輪で重量級と無差別級の2階級金メダルに輝いた柔道世界一のウィレム・ルスカの一戦だ。21年(...
記事全文を読む→東京五輪柔道100キロ級金メダリストのウルフアロンが新日本プロレスに入団。日本初の五輪金メダリストのプロレス転向は、大きな話題になっている。「柔道でやり残したことがなくなったら、やりたいと思っていた」とプロレスへの憧れを口にしたウルフは基礎...
記事全文を読む→現在、プロレスは勝負と観る者を楽しませる観客論が両立する、スポーツ・エンターテインメントとして認知されるようになったが、かつては「真剣勝負か?八百長か?」と取り上げられることが常だった。そんな世間と戦い、72年ミュンヘン五輪柔道金メダリスト...
記事全文を読む→ネバーギブアップ=諦めないために何が必要か。藤波氏は「気持ち」と言う。「ケガや老いに勝つには気持ちなんです。老いの怖さは、何かと後回しにしてしまうこと。僕も『今日はもう時間も遅いから、練習はいいや』とか『膝がイマイチだし、犬の散歩は明日にす...
記事全文を読む→プロレスラーとしては決して巨漢でない藤波氏だが、超ヘビー級とも正面からぶつかり合った。190センチ・170キロのビッグバン・ベイダー選手(故人)との試合をご記憶の方も多いだろう。藤波氏36歳の時だが、ここで強烈なダメージを受けてしまう。19...
記事全文を読む→デビュー54年。目の前のマッチョドラゴンの肉体には、闘う男の現役感がみなぎっている。御年71、現役プロレスラーとして「80歳までは立つ」と宣言。敬老の日は明けたが、老け込んではいられないアサ芸世代に向けて鋼の肉体と精神の秘訣を語っていただこ...
記事全文を読む→ここしばらく、どうにも疑問と遺憾の意を禁じえなかったタレントがいる。今年3月に、2017年4月から約8年間も担当した「Nスタ」(TBS系)のキャスターを降板したホラン千秋だ。全民放キー局のアナウンサー試験を受けるも、どこも不合格だった過去を...
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