さながら「不祥事タレント再生工場」とでもいった様相のテレビ番組といえば、「5時に夢中!」(TOKYO MX)だ。これまでを振り返ってみれば、それはよくわかる。「当て逃げ」の藤本敏史(FUJIWARA)、「後輩芸人へのパワハラ」の木下隆行(T...
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プロレスラーの異種格闘技戦は、アントニオ猪木から「新格闘王」と呼ばれた前田日明に受け継がれた。その前田がUWF3派分裂騒動後の1991年3月に「私の選手生活もそんなに残り時間がありません。おそらく、これが最後の船出となるでしょう。真のプロフ...
記事全文を読む→「プロレス界に入れるもんじゃない。ああいうのとは絶対にやらないし、見せようとも思わない。やったところで何の価値もない!」とは、1990年代に入り、何でもありの総合格闘技大会「アルティメット・ファイティング・チャンピオンシップ」(以下、UFC...
記事全文を読む→「プロレスラーは、本当は強いんです!」と、桜庭和志が高らかに宣言したのは1997年12月21日、横浜アリーナで行われた「UFCジャパン」に優勝した時だ。当時、日本プロレス界は総合格闘技ブームに押されていた。特に桜庭が入門したUWFインターナ...
記事全文を読む→1993年11月12日、米国コロラド州デンバーでUFC(アルティメット・ファイティング・チャンピオンシップ)が初めて開催されてから、異種格闘技戦ではなく「何でもあり」の総合格闘技イベントが注目されるようになったが、女子プロレスが初めて開催し...
記事全文を読む→フワちゃんのプロレス再デビュー戦が行われた2025年12月29日、スターダムの両国大会には多くの芸人が駆け付けている。しかしその中には、のっぴきならない観客がいた。麒麟の川島明は「ラヴィット!」(TBS系)で共演する上谷沙弥のタイトルマッチ...
記事全文を読む→2024年8月2日、やす子が行った〈やす子オリンピック生きてるだけで偉いので皆優勝でーす〉とのX投稿に対し、フワちゃんが〈おまえは偉くないので、死んでくださーい予選敗退でーす〉と引用リポストした。そのスクリーンショットが拡散され、大炎上とな...
記事全文を読む→1980年代、ショー的な要素を排除したUWFがプロレスの価値観を揺さぶったが、90年代にプロレス界に衝撃を与えたのは、93年11月12日に米コロラド州デンバーで初開催された“何でもあり”の格闘技大会UFC(アルティメット・ファイ...
記事全文を読む→小佐野でもSWSが出てきたことによって日本のプロレス界がそれまでの「馬場商店」「猪木商店」から企業に成熟しましたよね。藤波さんも99年6月には坂口さんを継いで新日本の社長になりました。当時の新日本は橋本真也VS小川直也で橋本が事実上KOされ...
記事全文を読む→小佐野馬場さんと猪木さんは後継者育成でも争っていて、全日本は72年ミュンヘン五輪レスリング代表のジャンボ鶴田、新日本も同じミュンヘン五輪代表の長州力をスカウトしましたが、叩き上げの藤波さんはどう感じていましたか?藤波“すごいなあ...
記事全文を読む→新日本プロレスと全日本プロレスによる半世紀に及ぶ闘争は、まさに日本プロレス史そのものである。その渦中、ど真ん中に身を置いていた藤波辰爾と、単行本を上梓した小佐野景浩氏が対談で語り尽くした。昨年末のイベントで飛び出した秘話の数々を再録する!小...
記事全文を読む→1991年1月7日、ショー的要素を排除した格闘技プロレスとして世間一般でもブームとなったUWFが、前田日明の突然の解散宣言によって3派に分裂するという事件が起こった。藤原喜明は2月4日に船木誠勝、鈴木みのるらと新UWF藤原組(のちにプロフェ...
記事全文を読む→68歳になった今も、電流爆破デスマッチを売り物にしている大仁田厚。左膝蓋骨複雑骨折(膝の皿が5つに割れる重傷)が完治せず、1985年1月3日に27歳の若さで全日本プロレスを引退したが、89年10月にFMWを旗揚げした後にデスマッチ路線で&l...
記事全文を読む→元号が平成に変わる前年の1988年(昭和63年)、プロレス界は一足先に新時代に突入した。前田日明が旗揚げした新生UWFが社会現象と言ってもいいほどの大ブームになったのだ。前田は84年3月に新日本プロレスを飛び出して旧UWFの旗揚げに参加。旧...
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