今年2025年3月6日の大田区総合体育館大会で、新日本プロレスは旗揚げ53周年を迎えた。全日本プロレスも、10月22日には53周年を迎える。振り返ると日本のプロレス界は、53年前の72年にアントニオ猪木が新日本、ジャイアント馬場が全日本を旗...
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いよいよ、いわくつきの大阪・関西万博が開幕した。ここはいったん、メタンガスだの大混雑だのと、ネガティブな情報は忘れてほしい。会場を中継するテレビに目を向ければ、在阪テレビの美女アナたちがハッスルハッスル!キー局に勝るとも劣らない、才色兼備た...
記事全文を読む→2020年は新型コロナウイルス感染症拡大により世界が変わり、スポーツエンターテインメントのプロレスもコロナ禍によって大打撃を受けた。新日本プロレスは2月26日の沖縄県立武道館大会を最後に、6月15日にオフィシャルサイト「新日本プロレスワール...
記事全文を読む→新日本プロレスと全日本プロレスの関係が良好だったのは、2013年1月4日の新日本の東京ドームに全日本の会長でもある武藤敬司が出場したところまで。その1カ月後に全日本の新たなオーナーになった白石伸生がSNSで「新日本は演劇だが、全日本はガチン...
記事全文を読む→株式会社ブシロードが親会社になった2013年から、新日本プロレス一強時代が続いた。24年にブシロード体制の象徴だったオカダ・カズチカが米国AEWに移籍したこともあり、現時点では新たなエースが確立されていないが、25年は1月4日と5日の東京ド...
記事全文を読む→1月3日に蝶野正洋がアドバイザーに就任、2月からプロレスリング・ノアを退団した秋山準、潮崎豪、金丸義信、鈴木鼓太郎、青木篤志の5選手が参戦。2013年の全日本プロレスは前途洋々だと思われた。しかし新オーナーとなったスピードパートナーズ社(以...
記事全文を読む→新日本プロレスは旗揚げ40周年イヤーの2012年1月31日に、ブシロードを親会社とする新体制に移行したことで、プロレス業界の盟主に返り咲いた。トレーディングカードの開発・販売を手掛けるブシロードは、自社のカードゲームのCMに棚橋弘至、中邑真...
記事全文を読む→プロレスラーで現職の文京区議会議員だった西村修氏が、ガンとの闘病の末、2月28日に53歳の若さで急逝した。深い悲しみがプロレス界を覆ったが、とりわけ哀惜の念に強く駆られたのが、西村氏の師にあたる藤波辰爾だろう。長らく断絶状態にあった師弟の再...
記事全文を読む→旗揚げ40周年イヤーの2012年、新日本プロレスは大転換期を迎えた。05年11月14日に株式会社ユークスの子会社となった新日本は90年代終盤からの暗黒時代を脱したが、12年1月31日にユークスがトレーディングカードの開発・販売を手掛ける株式...
記事全文を読む→2009年1月4日、新日本プロレスの東京ドームで、全日本プロレスの武藤敬司から至宝IWGPヘビー級王座を取り戻したことにより、棚橋弘至が新日本の大黒柱だと誰もが認めるようになった。新日本が力を取り戻してきたことでプロレス業界は明るいムードに...
記事全文を読む→2007年1月4日の東京ドームにおける両団体の35周年記念大会以降、新日本プロレスと全日本プロレスはそれぞれに新時代構築に向けて活動していたが、08年に再び交わる。事の発端は、同年1.4東京ドームで棚橋弘至からIWGPヘビー級王座を奪取して...
記事全文を読む→新日本プロレスは2008年春の時点で、アントニオ猪木、武藤敬司&蝶野正洋&橋本真也の闘魂三銃士、天山広吉、小島聡、永田裕志、中西学らの第三世代を経て、棚橋弘至と中邑真輔の時代に移行した。一方、武藤敬司率いる全日本プロレスは、武藤が02年10...
記事全文を読む→2007年1月4日の新日本プロレスの東京ドームは、開催が危ぶまれていたものの、全日本プロレスの全面協力で、両団体の35周年記念大会として実現の運びとなった。メインイベントでは武藤敬司と蝶野正洋がコンビを結成して、天山広吉&小島聡のテンコジに...
記事全文を読む→新日本プロレスは2005年11月14日に、ゲームソフトの開発・販売を手掛ける株式会社ユークスに買収されて同社の子会社となり、会社の体制が大きく変わったが、武藤敬司率いる全日本プロレスにとっても05年は変革期だった。武藤は02年2月に全日本の...
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