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記事全文を読む→「前代未聞の角界不祥事」“年寄名跡”を担保に差し出した輪島の破天荒人生/アサ芸「スクープ血風録」〈スポーツスキャンダル編〉
角界には「大卒の力士は大成しない」という定説があった。それを打ち破ったのが、「黄金の左」で一時代を築いた輪島(享年70)である。実に14度の優勝を誇りながら、十数億の借金を背負い、「年寄名跡」を担保にするという前代未聞のスキャンダルを起こしたのである。
得意の左下手投げを武器に、ライバル・北の湖と激しい優勝争いを繰り広げた第五十四代横綱・輪島大士。2人の対戦成績は輪島の23勝21敗と、実力はほぼ拮抗し「輪湖時代」と呼ばれる黄金期を築いた。
そんな輪島に暗雲が立ちこめたのは、85年5月。輪島は現役を引退し、花籠親方として部屋を切り盛りしていた。その一方で、実妹が社長を務めるちゃんこ料理店「輪島」に役員として名を連ねていたが、事業が破綻してしまい、倒産の憂き目に遭う。同年11月には年寄名跡を担保に借金をしていたことが発覚し、大騒動に発展する。
「真・輪島伝 番外の人」(廣済堂出版)の著者でノンフィクション作家の武田賴政氏が言う。
「妹に実印を預けていました。その実印と輪島の名前で、妹は融資を受けて店の運転資金に回していた。一時期は青山や六本木に支店を出すほどの勢いがあったのですが、それも長くは続かず、でたらめに金を借りては使い続けて、結果、年寄名跡を差し出すことになったのです」
相撲ひと筋、ごっつぁん人生だっただけに、脇の甘さもあったようだ。生前、親しい記者にはこう漏らしていた。
「気がつけば、自分の借金にされちゃったんだ。最初『担保』という言葉さえ知らなかった。あとで聞いて、ちょっとまずいなと思っていたんだよ」
週刊アサヒ芸能86年1月23日号では、地元の後援会幹部がこう証言した。
「14回も優勝してお金も入ったはずなのに、家族には家も建ててやっていない。それどころか、父親は息子や娘のために定年を過ぎても働いて借金を払わされているんだからねぇ」
同号では、親戚筋にも取材して証言を得ている。
「妹が中心になって金沢市内でちゃんこ料理店を始め、大繁盛していた。だから母親と祖父は働かなくてもよかったんです。それなのに、事業を拡大するほうに走ってしまい、莫大な借金を作ってしまった」
元凶はあくまで妹にあるというのだ。
実際、母親はレンガ会社の食堂で、90歳になる祖父はタバコ屋の店番として働きづめだった。
妹の金銭トラブルに巻き込まれる形になったとされる輪島だが、実際は自身もまた現役時代から放蕩生活に明け暮れ、豪快な飲みっぷりは有名だった。
「銀座のクラブで飲むでしょう。そこで芸能人と会うとごちそうしちゃうわけですよ。しかも高級シャンパン、ドンペリを平気で入れる。懸賞金をもらったって、それを担保に500万円使ってしまうこともあった。確定申告の際に税金が払えず、相撲協会が800万円を立て替えたこともある。これをきっかけに、懸賞金は税金分を差し引いて力士に渡すようになった」(相撲関係者)
相撲界のしきたりさえ変えてしまう、その破天荒ぶりは今でも角界の伝説となっている。
付け人、弟子として輪島を間近で見てきた「相撲茶屋 玄海」の店主・志岐和久氏(元輪鵬)が証言する。
「政財界の大物がいるようなお店に連れて行ってもらいましたね。食事代はおそらく、タニマチが払ってくれていたと思います。女性にもすごくモテました。名前は控えますが、キレイな女優さんとも関係があったはずです」
派手な私生活は、まさに昭和の大スターたちに引けを取らない。だが内実、懐は火の車だった。その原因の1つが‥‥。
「押し相撲が得意な巨漢力士が苦手でした。特に合口が悪かったのは高見山。真剣勝負ではなかなか勝てなかったので、いわゆる“チュウシャ”に走った。相手によっては、本割で負けて決定戦で勝つなんてこともあった。そうした八百長の精算も、大きな負債の一因です」(前出・武田氏)
いずれにせよ、前代未聞のスキャンダルによって、輪島は廃業届を出すことでケジメをつける。
相撲界を去った輪島が次に活路を求めたのがプロレスだった。主戦場は、ジャイアント馬場が率いる全日本プロレスである。
週刊アサヒ芸能86年7月31日号のインタビューで、輪島本人がこう胸を膨らませていた。
「寝る前なんかベッドの中でデビューの時に何を着て出ればいいかなって。着物にしようか、ジャンパーで出ようか‥‥。デビュー戦はそうねえ、大きなとこで満員の会場でやりたい。大阪城ホールは何人入る? 1万2、3000くらいか。武道館も同じくらいかな。できれば、そりゃ国技館でやりたい。迷惑をかけたから恩返しがしたい」
トレーニング先のアメリカで数試合をこなし、帰国すると、86年11月1日、待ちに待った日本でのデビュー戦。会場となったのは、地元・石川県の七尾総合スポーツセンター。故郷に錦を飾るにはうってつけの場所である。人気悪役レスラーのタイガー・ジェット・シンとの対戦は、両者反則引き分けに終わった。5分55秒とあまりにも短い試合だったが、ゴールデンタイムに中継された視聴率は20%を超え、輪島復活を大いにアピールした。
華々しいプロレスデビューではあったが、借金返済への道のりは遠かった。
「前妻の五月さんによると、ファイトマネーは1試合5万円だった。月20試合も務めれば100万円は稼げるが、輪島はそうは思っていなかった。なにせ、借金は億単位。しかも体力的に全盛期を過ぎた38歳でのデビューです。体を傷め、『あっちが痛い』『こっちが痛い』と言って徐々にリングに立つのを嫌がっていた」(前出・武田氏)
結局、輪島はわずか2年でプロレスを引退した。
その後、愛くるしいキャラクターが幸いし、バラエティー番組にも進出、お茶の間の人気者にもなっていく。
「キャットフードをコンビーフと勘違いして食べていた節がある。全日本プロレスに入団し、馬場家に招待された時も、元子夫人に『輪島さんは何が好き?』と聞かれ、すかさず『キャットフードです』と答えた(笑)」(ベテラン相撲記者)
スキャンダラスが目立ちつつも、愛され続けた男─。週刊アサヒ芸能01年10月18日号のインタビューでは、「こんな面白い人生になるなんて夢にも思わなかったよ」と笑顔を見せていた。
輪島は18年に70歳で破天荒な人生に幕を下ろした。
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