プロレスラーで現職の文京区議会議員だった西村修氏が、ガンとの闘病の末、2月28日に53歳の若さで急逝した。深い悲しみがプロレス界を覆ったが、とりわけ哀惜の念に強く駆られたのが、西村氏の師にあたる藤波辰爾だろう。長らく断絶状態にあった師弟の再...
記事全文を読む→藤波辰爾
最強神話が崩壊した新日本プロレス、ジャイアント馬場という大黒柱を失った全日本プロレス‥‥1999年春、老舗2団体は大きな問題を抱えながらビッグマッチを迎えた。4月10日、新日本の東京ドームの主役は、1.4東京ドームでストロング・スタイルのリ...
記事全文を読む→10月16日放送「有吉クイズ」(テレビ朝日系)は、長州力とあんり(ぼる塾)による新大久保ロケの様子がクイズ形式で流れるものだった。この番組で2人がロケをするのは二度目だ。前回の鎌倉ロケでは、初顔合わせの時から長州はあんりにベタ惚れ。散策中は...
記事全文を読む→アントニオ猪木の感性に陰りが見えた1987年12月27日の両国国技館暴動事件、前田日明解雇に連動する形での高田延彦、山崎一夫、中野龍雄、安生洋二、宮戸成夫(現・優光)のUWF勢の退団と、87年暮れから88年春にかけて新日本プロレスは再び激震...
記事全文を読む→9月13日の「水曜日のダウンタウン」(TBS系)は「正体バレたら即脱落マスクマン旅」企画だった。「色違いのプロレスマスクを被った8人の参加者が、声と背格好をヒントにお互いの正体を当て合う」もので、正体がバレてしまった者は即脱落。誤答した者は...
記事全文を読む→「ジャパンがこの世界で生きていくためには‥‥ジャンボなり、天龍なり、藤波なりをみんな倒さなきゃいけないから、まあ一生懸命頑張ります」1985年1月17日、徳山市民体育館でカート・ヘニングを撃破してPWF王座防衛に成功した長州力は、日本テレビ...
記事全文を読む→1985年暮れにジャイアント馬場とアントニオ猪木が水面下で握手、全日本プロレスと新日本プロレスの間に引き抜き防止協定が結ばれたことで、86年は両団体がそれぞれの活動に専念することができた年だ。新日本と前田日明率いるUWFの開戦は刺激的だった...
記事全文を読む→1982年のアントニオ猪木は、ジャイアント馬場とのトップ会談で引き抜き戦争を停戦に持ち込むことができたことで一安心してしまったのか、体調不良に悩まされる1年を送った。まず4月1日の蔵前国技館における「第5回MSGシリーズ」決勝戦を両膝の負傷...
記事全文を読む→まさか本人の歌声で、あの名(迷)曲が聴けようとは!10日放送「1オクターブ上の音楽会」(NHK)で、新日本プロレスのレジェンド・藤波辰爾が「マッチョ・ドラゴン」を歌った。番組は「前代未聞の奇妙な音楽会が開演!異色の歌謡曲はなぜ生まれた!?そ...
記事全文を読む→テリー今、藤波さんの団体「ドラディション」では息子さんのLEONA選手もプロレスラーとして活躍してますよね。藤波僕は大反対したんですけどね。絶対プロではやらせたくないっていうのがあって。テリーあ、そうなんだ。子供の頃から大スターのお父さんを...
記事全文を読む→テリー3つ目の転換点は、やっぱり長州力選手の登場ですか。藤波そうですね。彼は僕より年齢的には2つ上なのかな。でもこの世界に入ったのは僕のほうが早いから先輩で。彼はアマレスでオリンピックに出てるし、全日本選手権も取ってるし、相撲でいう幕下付出...
記事全文を読む→テリー日本プロレスに入門したのが16歳ですよね。これまで50年やってきて、いちばんのターニングポイントってどこですか。藤波それは3つぐらいありますね。最初は僕が入門した年の暮れに日本プロレスが馬場さんと猪木さんに分かれたこと。僕は、当時は猪...
記事全文を読む→●ゲスト:藤波辰爾(ふじなみ・たつみ)1953年、大分県生まれ。70年、「日本プロレス」に入門し、71年デビュー。同年、「新日本プロレス」の旗揚げに参加。斬新なドラゴン殺法を駆使して一躍スター選手となり、日本に「ジュニアヘビー級」のジャンル...
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