小佐野でもSWSが出てきたことによって日本のプロレス界がそれまでの「馬場商店」「猪木商店」から企業に成熟しましたよね。藤波さんも99年6月には坂口さんを継いで新日本の社長になりました。当時の新日本は橋本真也VS小川直也で橋本が事実上KOされ...
記事全文を読む→藤波辰爾
小佐野馬場さんと猪木さんは後継者育成でも争っていて、全日本は72年ミュンヘン五輪レスリング代表のジャンボ鶴田、新日本も同じミュンヘン五輪代表の長州力をスカウトしましたが、叩き上げの藤波さんはどう感じていましたか?藤波“すごいなあ...
記事全文を読む→新日本プロレスと全日本プロレスによる半世紀に及ぶ闘争は、まさに日本プロレス史そのものである。その渦中、ど真ん中に身を置いていた藤波辰爾と、単行本を上梓した小佐野景浩氏が対談で語り尽くした。昨年末のイベントで飛び出した秘話の数々を再録する!小...
記事全文を読む→ネバーギブアップ=諦めないために何が必要か。藤波氏は「気持ち」と言う。「ケガや老いに勝つには気持ちなんです。老いの怖さは、何かと後回しにしてしまうこと。僕も『今日はもう時間も遅いから、練習はいいや』とか『膝がイマイチだし、犬の散歩は明日にす...
記事全文を読む→プロレスラーとしては決して巨漢でない藤波氏だが、超ヘビー級とも正面からぶつかり合った。190センチ・170キロのビッグバン・ベイダー選手(故人)との試合をご記憶の方も多いだろう。藤波氏36歳の時だが、ここで強烈なダメージを受けてしまう。19...
記事全文を読む→デビュー54年。目の前のマッチョドラゴンの肉体には、闘う男の現役感がみなぎっている。御年71、現役プロレスラーとして「80歳までは立つ」と宣言。敬老の日は明けたが、老け込んではいられないアサ芸世代に向けて鋼の肉体と精神の秘訣を語っていただこ...
記事全文を読む→プロレスラーで現職の文京区議会議員だった西村修氏が、ガンとの闘病の末、2月28日に53歳の若さで急逝した。深い悲しみがプロレス界を覆ったが、とりわけ哀惜の念に強く駆られたのが、西村氏の師にあたる藤波辰爾だろう。長らく断絶状態にあった師弟の再...
記事全文を読む→最強神話が崩壊した新日本プロレス、ジャイアント馬場という大黒柱を失った全日本プロレス‥‥1999年春、老舗2団体は大きな問題を抱えながらビッグマッチを迎えた。4月10日、新日本の東京ドームの主役は、1.4東京ドームでストロング・スタイルのリ...
記事全文を読む→10月16日放送「有吉クイズ」(テレビ朝日系)は、長州力とあんり(ぼる塾)による新大久保ロケの様子がクイズ形式で流れるものだった。この番組で2人がロケをするのは二度目だ。前回の鎌倉ロケでは、初顔合わせの時から長州はあんりにベタ惚れ。散策中は...
記事全文を読む→アントニオ猪木の感性に陰りが見えた1987年12月27日の両国国技館暴動事件、前田日明解雇に連動する形での高田延彦、山崎一夫、中野龍雄、安生洋二、宮戸成夫(現・優光)のUWF勢の退団と、87年暮れから88年春にかけて新日本プロレスは再び激震...
記事全文を読む→9月13日の「水曜日のダウンタウン」(TBS系)は「正体バレたら即脱落マスクマン旅」企画だった。「色違いのプロレスマスクを被った8人の参加者が、声と背格好をヒントにお互いの正体を当て合う」もので、正体がバレてしまった者は即脱落。誤答した者は...
記事全文を読む→「ジャパンがこの世界で生きていくためには‥‥ジャンボなり、天龍なり、藤波なりをみんな倒さなきゃいけないから、まあ一生懸命頑張ります」1985年1月17日、徳山市民体育館でカート・ヘニングを撃破してPWF王座防衛に成功した長州力は、日本テレビ...
記事全文を読む→1985年暮れにジャイアント馬場とアントニオ猪木が水面下で握手、全日本プロレスと新日本プロレスの間に引き抜き防止協定が結ばれたことで、86年は両団体がそれぞれの活動に専念することができた年だ。新日本と前田日明率いるUWFの開戦は刺激的だった...
記事全文を読む→1982年のアントニオ猪木は、ジャイアント馬場とのトップ会談で引き抜き戦争を停戦に持ち込むことができたことで一安心してしまったのか、体調不良に悩まされる1年を送った。まず4月1日の蔵前国技館における「第5回MSGシリーズ」決勝戦を両膝の負傷...
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