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記事全文を読む→「プロレスVS格闘技」大戦争〈長州の生涯一度だけに終わった異種格闘技戦〉
1990年代後半から2000年代初頭にかけて、新日本プロレスはオーナーのアントニオ猪木の介入によって格闘技路線にシフトしていったが、それに反発したのが現場責任者の長州力だ。
「もう僕は会長(猪木)と一緒にやっていくっていうものには足が出ていかない」と、02年5月末日で新日本を退団している。
そんな長州の生涯一度だけの異種格闘技戦が1986年元日、後楽園ホールにおける82年パワーリフティング世界選手権125㎏超級金メダリストのトム・マギー戦。パワーリフターとの格闘技戦という異色のカードが実現した裏には、大きな野望が秘められていた。
長州は84年9月に新日本プロレスからジャパン・プロレスに移籍。85年1月からジャパンが業務提携する全日本プロレスのリングに登場して、ジャンボ鶴田や天龍源一郎と抗争をスタートさせた。同年6月には代表権はないものの、ジャパンの社長に就任して、ジャイアント馬場、アントニオ猪木に次ぐ社長兼エースになった。これはジャパンのイメージ戦略だった。
団体ではなく興行会社を建前としていたジャパンは、業務提携して自分たちが興行を手掛ける全日本のリングに長州らの所属選手を提供していたが、実際には新日本、全日本に対抗するプロレス団体‥‥馬場&猪木のBI支配を打破する第3勢力になるという野望を持っていて、その旗頭に長州を据えたのだ。
当時のプロレス団体の経営にはテレビが不可欠であり、ピンク・レディーや柏原芳恵が所属していた芸能プロダクションのソーマオフィスを通じてTBSと接触することに成功。
同社の相馬一比古社長はTBS上層部と親しく、ジャパンとのビジネスのためにワイルドエンタープライズなる制作企画会社を設立し、ジャパンはこの会社とTBS放映の企画制作について2年の契約を交わしたのである。
話は水面下でスムーズに進み、まず85年12月15日に90分枠でジャパンの特番を放映、大晦日にはNHK「紅白歌合戦」の裏番組として午後9~11時に長州の異種格闘技戦をメインとした「格闘技大戦争」を放映することが決定。
その上で86年4月、あるいは10月からゴールデンタイムでレギュラー放映を開始するという構想だった。
このプランに沿って、ジャパンの海外エージェントを請け負っていたカナダ・カルガリー在住のミスター・ヒト(安達勝治)が長州の異種格闘技戦の相手としてマギーをスカウトした。
マギーは前述のように82年のパワーリフティング世界王者の肩書の他、82年ワールド・ストロンゲストマン・コンテスト2位、ボディビルでは84年のミスター・ブリティッシュコロンビアに輝き、空手とカンフーは黒帯、キックボクシング、ボクシング、レスリング、体操、高飛び込みの選手でもあったスーパーアスリート。85年10月4日にカルガリーでプロレスラーとしてデビューして、大晦日の長州戦への準備を進めていた。
だが、ジャパンの思惑通りにはならなかった。TBSの上層部の中に、74年春に国際プロレスの放映を打ち切った際のトラブルでプロレスに嫌悪感を持つ人物がいて、土壇場で企画が見送られてしまったのだ。
その一方で、この年の10月から日本テレビの中継がゴールデンタイムに復活することが決まった全日本が、ジャパンに業務提携について新たな好条件を提示。馬場は水面下でのジャパンの不穏な動きを察知すると同時に、ゴールデンタイムには長州が必要と判断して好条件で封じ込めにかかったのである。
結局、ジャパンは団体としての完全独立を断念して全日本と新たな契約を交わし、大晦日に実現するはずだった長州VSマギーの異種格闘技戦は、ジャパンが興行権を持っていた86年元日の全日本の「新春ジャイアント・シリーズ」開幕戦となる1月1日大会のメインに据えられた。
いざ、決戦。試合は1ラウンド5分の10ラウンド制でインターバル1分のプロレスルールで行われた。
第1ラウンドは長州がマギーのカンフーや空手をベースとしたキックを巧みにかわして、グラウンドに引き込んだところでゴング。
5分でマギーの力量を見極めた長州は2ラウンドにはサソリ固め、スリーパー・ホールドで攻め込み、3ラウンドに入るやバックドロップからリキ・ラリアット3連発で一気に仕留めてしまった。
「プロレスラー以外の奴と戦うのはもういい。ルールも変えなきゃならないし、そうなるとプロレスの醍醐味がなくなる」と語った長州は以後、異種格闘技戦に見向きもしなかった。
90年代後半からの格闘技ブームの中で、長州VSヒクソン・グレイシーという企画がヒクソンの代理会社からテレビ朝日に持ち込まれ、新日本も長州も承諾。水面下で02年1月4日の東京ドームで「スーパーコロシアム2002」として実現させる準備が進んでいたが、最終的には長州が「取りやめにしてくれ」と訴えて立ち消えになった。やはり長州には異種格闘技戦にアレルギーがあったようだ。
文・小佐野景浩(おさの・かげひろ)元「週刊ゴング」編集長として数多くの団体・選手を取材・執筆。テレビなどコメンテーターとしても活躍。著書に「プロレス秘史」(徳間書店)などがある。
写真・山内猛
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