空港での待ち時間を快適にしてくれる「プライオリティ・パス」。ところが空港によって、その「おトク度」にはかなりの差があるようだ。その代表格が中部国際空港(セントレア)。異色なのが「くつろぎ処」だ。ここではプライオリティ・パスを利用して展望風呂...
記事全文を読む→萩本欽一「決して拳を振るわなかった大先輩 東八郎さん」(1)
僕がコメディアンになるきっかけを作ってくれたのは、中学2年生の時の担任、杉田静枝先生でした。
髪の毛が長くて、あだ名は「アパッチ」。クラスでは、先生が教室に入ってくる前に、あだ名を黒板に書き、入ってくる寸前、消して自分の席に戻るというイタズラがはやっていました。
当時の僕は引っ込み思案な性格で、そういうイタズラにはまったく加わらなかったのですが、ある時、クラス一のワンパク坊主に誘われ、しかたなく黒板に先生のあだ名を書きました。
とたんに、
「先生が来たぞ!」
ワンパク坊主はすばやく消して席に戻ったのですが、僕のほうは泡を食って消すのも忘れ、席に戻りました。
黒板のイタズラ書きを見た杉田先生は、
「誰なの? これを書いたのは」
教室中、水を打ったようにシーンです。
もう一度、先生が、
「誰なの?」
観念した僕は、
「僕です!」
震える声で手をあげました。
すると、杉田先生が、
「萩本くん、男の子はこれくらいのイタズラをする勇気がないとダメなのよ」
怒られると思っていたのにその言葉です。僕は感激し、
「よ~し、先生の授業の時は、勇気を出して手をあげよう!」
と決めました。ただ、張り切りすぎて、答えがわかっていない時でも手をあげてしまうんです。
杉田先生が僕を指さし、
「萩本くん!」
「ハイ、わかりません!」
クラス中が大笑い。
そんなことが重なるうちに、僕は人に笑われることが嫌じゃなく、逆に「人を笑わせるのって気持ちいい」と思い始めたんです。
「僕はコメディアンになる!」
高校を卒業すると、父親の知人の紹介で、浅草の「東洋劇場」にコメディアン兼雑用係として入社します。
当時の「東洋劇場」は、コントとストリップの二本立てでした。
浅草の豆腐屋さんの2階に下宿し、コメディアン修業を始めた僕の面倒をいろいろと見てくれたのが、「東洋劇場」の5歳上の先輩、東八郎さん(1988年死去・享年52)です。
若い人には、「安めぐみさんと結婚した東貴博くんのお父さん」と言ったほうがわかりやすいと思います。
浅草の芸人の修業というのは、ものすごく厳しく、先輩に殴られたりするのはしょっちゅうでした。
東さんは「東洋劇場」では座長クラスで、僕の師匠です。怒られたり殴られたりするのは当然です。
でも、東さんって絶対に殴らないんです。怒らないし、すごく優しい。
僕は一度、「どうして怒らないんですか?」と聞いたことがあります。
「オレはな、欽坊くらいの時には、毎日、先輩から殴られたり、怒られたりした。『そうやって教えるのが、浅草の伝統だ』って言われた。でもなぁ、欽坊。オレは違うと思うんだ。
先輩に殴られながら、『オレは先輩という立場になっても、絶対に若い人たちを殴らないぞ!』、そう決心したんだよ。殴るのって嫌だし、殴られるほうも嫌だもんなぁ」
アサ芸チョイス
地上からは想像もつかない深海で、半世紀前に投棄された「核のゴミ」が静かに朽ち果てている――。米メディア「The Week」電子版が、そんな背筋が寒くなるようなニュースを報じた。フランス沿岸から約1000キロ離れた北東大西洋海域の水深約470...
記事全文を読む→中国人民解放軍が公開した一本の「反戦アニメ」に、日本から「ジブリの丸パクリではないか」との批判が集中している。人民解放軍の英語版公式Xは「中国は日本当局に軍国主義との決別を促す」との投稿に2分5秒の短編アニメ「平和の仮面」を添付した。画面に...
記事全文を読む→東京都港区で8月に行われた「麻布十番納涼まつり」で、屋台の「冷やし蟹ラーメン」を食べた78人が下痢や嘔吐などの症状を訴え、3人が入院した問題で、新たな衝撃事実が判明した。東京都と港区は発症者31人と従業員2人の便からサルモネラ属菌が検出され...
記事全文を読む→
