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記事全文を読む→【異変】能登半島地震の救援活動に「任侠ボランティア」が始動しなかった舞台裏
能登半島大震災の犠牲者と被害状況の全貌が今もなお見えない中、政府・自治体の初動の遅れを指摘する声が出ている。かつてなら民間の救援活動でも「強力な援軍」が発生直後から始動していた。地元に密着した機動性のある集団、任侠人による組織的な救援活動である。
今回の震災では、最大組織の山口組が石川県に直系組織を持たず、組織的な支援は行われていない模様だが、傘下の組員で個人的に炊き出し、物資輸送などのボランティアに加わる例は見られるという。
山口組が大規模な救援活動に動いた天災は平成に2度、起きている。1995年1月の「阪神・淡路大震災」と、2011年3月の「東日本大震災」だ。
山口組誕生から令和の現在に至る歴史と現在を解説した「令和の山口組」(新潮新書・山川光彦著)なる書籍が刊行されたが、例えばここには知られざる支援活動の実態が記されている。
2011年3月11日に東日本一帯を襲った大震災は、東北・東日本に拠点を置く組織を直撃した。全国に傘下団体を持つ山口組も例外ではなく、直撃を受けた組織や現地の様子を知った組員たちから、「他人事ではない」と救援を志願する声が上がったという。先の「令和の山口組」には、こう書かれている。
〈地元に根付いた系列のテキヤ系組織が中心となって被災地に入り、自治会からも協力を取り付け、炊き出しを実施。焼きそば2万食をはじめ、うどん、粕汁、ぜんざい、フランクフルトといった食べものが振る舞われ、高齢者や子どもたちに好評だったとか。
水や食料、衣類、毛布のほか、ミルクやオムツ、生理用品といった物資も調達。粉ミルクは標準的なものだけでなく、アレルギー体質の赤ちゃん用まで用意し、下着もなるべく幅広くサイズを揃えるキメの細かさで、並の自治体では及びもつかないものでした。
東北の気候も考慮してカッパや長靴、防寒具、寒冷地で貴重な灯油などの燃料も、被災していない組織の手でかきあつめられました。これら「体育館ひとつでは収まりきらない量」の物資を被災地に設けた前線基地まで大型トラックで輸送、そこから小回りの利く車両に積み替えて、被災地を回ったといいます〉
山口組全体で、延べ1000人近い組員が動員されたという。
こうした活動の背景にあったのが、阪神・淡路大震災での経験だ。被災当事者だった山口組総本部には、全国の傘下組織からトラック、ヘリコプター、クルーザーなどで1日に1万食もの食料と救援物資が連日届いた。1日2回の配給時には、総本部前に2000人以上の被災者が行列をなしたという。一方では、傘下の組長が独自に、避難所のある公園などでの炊き出しも。
近年では「暴排」のアオリを受けた当局や自治体からの活動規制により、こうした慈善活動は影を潜めている。今回の能登半島大震災で任侠ボランティアが表立った働きを見せなかったのは、「たとえ国難の惨事下であっても暴力団はお断り」という「暴排」の機運が働いたから、かもしれない。
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