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記事全文を読む→今のヤクルトは野村監督時代と何が違う? 池山隆寛監督の答えは「古田・池山・広澤・ハウエル」
「今年のチームと90年代の強かったチームで、大きな違いはありますか」
こんな質問を受けたヤクルトの池山隆寛監督は、なんと答えたか。開幕前の下位予想に反して、阪神と首位争いを繰り広げるチームをどう分析しているのか。大いに気になるところだが…。
「やっぱり、ホームランバッターがいない。野村さんの時は古田、池山、広澤、ハウエルとかね、30本打つのが4人もいた。どっかしらから点は取れてたんだろうなとは思う。ひと振りで1点は欲しいよね。30本はみんなに期待してる」
これはYouTubeチャンネル「東京ヤクルトスワローズ」の5月7日の動画で語られたものだが、野村克也氏がヤクルトの監督に就任したのは1990年シーズン。それから9年間で4度のリーグ優勝と3度の日本一に導いた。
「教育的確執」が生じてホームランは減った
ちなみに、シーズン30本以上のホームランは、古田敦也氏が1992年の1回。池山監督は1988年から5年連続。広澤克実氏の30本塁打は1988年だが、野村政権時にはコンスタントに25本塁打以上を記録している。そしてジャック・ハウエルは1992年に…。
池山監督は現役時代、野村監督との間に「教育的確執」が生じていたのは知られた話だ。野村監督は「三振するな」「狙い球を絞れ」と要求したが、ブンブン丸は自分の持ち味が消えてしまうのではないかと逡巡。
1990年、三振100個は前年の141個を大幅に下回ったが、1989年に記録したキャリアハイとなる34本塁打を、その後は超えることがなかった。
「ID野球」ではなく「ホームランバッター」を挙げるあたり、池山監督の矜持を見た思いだ。
(所ひで/ユーチューブライター)
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