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記事全文を読む→嗚呼、素晴らしき「80年代テレビ黄金時代」を語り尽くそう!〈人気放送作家・植竹公和が時効トーク解禁〉(2)
80年代はクイズ番組が隆盛を極めていた。「クイズ100人に聞きました」(TBS系、79〜92年)や「象印クイズ ヒントでピント」(テレビ朝日系、79〜94年)などを手がけてきた植竹氏。中でも印象に残っているのが「クイズ地球まるかじり」(テレビ東京系、83〜94年)だという。世界の料理を紹介したり、食べる順番を当てるグルメクイズを出題したりする同番組は高視聴率を誇った。
「当時20%を超える視聴率を取っていました。テレ東の社長が喜んで、激励を兼ねて宴会に招待してくれたんです。スタッフで行ったら、缶ビールと乾き物があるだけ。グルメ番組なのにグルメでも何でもなくてビックリしましたね(笑)」
クイズ同様に、歌番組も乱立する時代。だが、その舞台裏は毎週熾烈な視聴率競争の連続だった。
「僕は『ザ・トップテン』(日テレ系、81〜86年)の台本を書いていました。『ザ・ベストテン』(TBS系、78〜89年)や『夜のヒットスタジオ』(フジ系、68〜90年)などのライバル番組が多くて苦労しましたよ。例えばベストテンでトークのネタを使われてしまうと、トップテンでは使えない。そこで、一緒にラジオ番組をやっていたマッチ(近藤真彦)と仲がよかったので、ベストテンに出演する際に楽屋に入れてもらいました。スタッフが入って来る時、マッチが僕を隠してくれる。そこでネタの打ち合わせを聞いてスタッフが出て行ったら、『今のネタもらっていい?』『どうぞどうぞ』って具合でね」
田原俊彦を「今、こういうことに凝っていることにしてくれない?」と拝み倒し、「わかりました」と了解を得たこともあったという。一方、中森明菜には困らされることもしばしばで‥‥。
「番組終わりで打ち合わせをしようとすると『今はちょっと‥‥』と言う時があるんです。次の現場にもついて行くんですが、『やっぱり今日は帰る』って。でも、天才肌で歌はうまいし、かわいいから、僕も大ファンで許せちゃうんです(笑)」
出演者に体を張らせた番組も多く見られた。中でも「ザ・ガマン」(フジ系、82〜86年)は、主に学生たちに過酷な指令を課した。
「おしっこをガマンして、最終的には南極まで簡易トイレを持って連れて行きました。水車で稼働する船の水車部分にどこまでつかまっていられるかや、傾斜した壁で学生とタコのどちらがより耐えられるかなんて競技もあった。僕が考えたものでは、日々仕事に追われて徹夜の多いプログラマーと、当時の厳しさでは芸能界一と言われていた和田アキ子さんのマネージャーによる睡眠ガマン対決。プールの上に作った不安定な場所にスタンバイしてもらって、寝ちゃうとプールに落ちる仕組み。勝負は2日半続いて、結果はアッコさんのマネージャーの勝利でした」
まさにバラエティーに富んだ番組を横断してきた植竹氏は、現在も現役の放送作家である。「歌う放送作家」の肩書でラジオにも出演する鬼才は、現在もTOKYO FM系の音声サービスの「植松公和のアカシック・ラジオ」でパーソナリティーとして活躍中。いつまでも時代に刺激を与え続けてほしいものだ。
植竹公和:放送作家として「オレたちひょうきん族」「上岡龍太郎がズバリ!」など多数、ミュージシャンとして杏里、角松敏生らの作曲も担当。80年代より新人コント大会を渡辺正行と主催して関東のお笑いを牽引した。
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