仕事帰りにビール好きの同僚と居酒屋の暖簾をくぐり、席に着くなり「とりあえず生」と頼む。そんな習慣の人が、ある店に限っては瓶ビールを注文することがある。生ビールが好きなはずなのに、わざわざ瓶を選ぶのはなぜなのか。瓶ビールは工場で詰められたもの...
記事全文を読む→生誕90年 立川談志と最後の弟子〈初めて書く「イリュージョン」な日々〉(8)高木ブーを前に談志は何を語る
談志の身の回りのお仕事に慣れてきたある日、プライベートのお供をした。ハワイアンの音楽イベントで、確か日比谷かどこかだったような気がする。一体誰を目当てに来たのだろうと思っていると、突如インディ・ジョーンズのごとく通路の向こうから大きな球体が。危ないと身を構えたが、いつまで経っても転がってこないのでよく目を凝らしてみたところ、高木ブーさまだった。談志も高木ブーさまを目当てに来たに違いないと思っていた私は、本稿の冒頭のような状態になっていた。立川談志と高木ブー、一体どんな会話をするのかと固唾を吞んで見守った。
「師匠どうも」
「おう、元気か」
「なんとか」
「そうか」
終わりである。噓でしょ、高木ブーなのに。興奮する私を全く意に介さず、談志はブーさまをあとにしてスタスタと舞台袖に行った。そこには身長180センチはあろうダンディな男性がいた。それは談志の敬愛するマヒナスターズの松平直樹先生だった。
ブーさまに見せなかった笑顔を見せて、嬉しそうに会話をしていた。お目当てはこちらだったのだ。談志は軽く挨拶をしてから客席に行き、松平先生の歌を聴いていた。今まで見たことないほどうっとりとし、恍惚の眼差しでステージを眺めていた。
音楽イベントが終わった後、打ち上げのような軽いパーティーがあった。談志はそこで松平先生と語り合っていた。
「お前も何か食べていいぞ」
「ありがとうございます」
バイキング形式のパーティーだったので、遠慮なく好きなものをお皿に乗せて食べていた。椅子はあったがほとんど立食みたいなもので、みな歩きながら昔話に花を咲かせていたが、一人だけ椅子に座って動かない人がいた。ブーさまだ。私の胸は再び高鳴った。
「師匠、高木ブーですよ!」
談志は哀れみの目を私に向けた。
「しょうがねえな、料理持っていってやれ」
「はい」
すぐにブーさまの好きそうな物をお皿に乗せて持っていった。
「どうぞ!」
「ありがとう」
ブーさまは私の運んだ料理をゆっくりむしゃむしゃ食べていた。その様子を眺めながら。
「師匠、食べてます」
「気はすんだか」
「ありがとうございます」
「帰るぞ」
「はい」
貴重な経験をして談志を根津のマンションまで送り届けた。帰り際。
「夜はバカが多いから気をつけて帰れよ」
「はい」
優しい言葉につい笑みが溢あふれた。このセリフは「狸の札」という落語に入れている。高木ブーさま、覚えてないでしょうが、あの時料理持っていったの私です。
立川談吉(たてかわ・だんきち)1981年12月14日生まれ。北海道帯広市出身。2008年3月に立川談志に入門。11年6月に二ツ目昇進。12年4月に立川左談次門下へ。18年7月に立川談修門下へ。26年3月1日に真打昇進「立川談寛」襲名予定。
写真/産経ビジュアル
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