見習いとしての入門が許されてすぐに、落語の稽古が始まった。演目は当然「道灌」だ。「昔は三遍稽古ってのがあってな」三遍稽古はメモも取らず録音もせずに、師匠が三回落語をやって教える稽古法だ。詳しく説明すると色々あるのだが、やったことがないので偉...
記事全文を読む→立川談志
アポなしで談志邸を突撃した談吉は、父とともに“三者面談”を受けることになった。すっかり委縮している父を前に「ハッキリ言って食えません」と開口一番言われようとも、談志の弟子になるとの覚悟は微塵も揺らがない。しかし、その場所にはなぜ...
記事全文を読む→「何かあるんだろう、言ってみな」ここで自分が何を言ったかは覚えていない。極度の緊張のあまり般若心経を唱えていた可能性もある。その間、談志は手洗いうがいをし、歯磨きをしたかと思うと舌磨きをしながらえずいていた。思い返せば興奮している鉄砲玉が落...
記事全文を読む→作戦決行日。地下鉄根津駅の長い階段を登って、1番出口を抜けるとそこは下町であった。新宿や渋谷などと違いどこか素朴さを感じ、これが本来の東京なのかもしれないと思った。「この町に談志が住んでいるのか」脳内で呟いた。初めての根津は右も左もわからな...
記事全文を読む→話は談吉がまだ談吉でなかった頃にさかのぼる。北海道帯広市の中学生時代、「立川談志」の強烈な言動をテレビで見たのが最初だ。その後、図書館で落語CDを借り、“らくだ”の噺に脳が焼ける衝撃を受けた。以来持ち続けた積年の思いは、談志への...
記事全文を読む→その夜、ホテルニューオータニで師匠の長女・弓子さんと慎太郎さんによる記者会見が始まった。病名や闘病生活の様子などを記者の方々に答えている様子を会場の隅から見守っているうちに、勝手ながら小僧から番頭になったような心持ちがした。会見後にホテルの...
記事全文を読む→2011年11月23日、火葬の日。この時期は後輩の立川春樹(廃業している)を部屋に住まわせていた。談春師匠のお弟子さんで口跡がよく、一語一句はっきりと客席に届けるタイプの落語家で、私とは一カ月違いの入門だった。父親と喧嘩したから談吉兄さんの...
記事全文を読む→談志が死んだ──誰にも漏れていなかったはずなのに、どこから嗅ぎつけたのか、斎場には大勢のマスコミが群がっていた。談吉は生前の師匠の言葉を思い出す。「俺が死んだ時は黄金餅のお経でいい」。噺は覚えていないが、中に出てくるお経は覚えていた。金魚ぉ...
記事全文を読む→納棺師が仕事を始めた。体を拭き髪を整えお化粧をすると、綺麗なジャイアンもとい綺麗な談志が出来上がる。血の通っていない肌に僅わずかな生気が吹き込まれていった。死化粧とは凄いものだ。「談吉くん出番だよ」弓子さんにそう言われ、持ってきた風呂敷から...
記事全文を読む→病室に戻ると空気が変わっていた。心電図や何やらのもろもろの機械が全て外されていた。改造手術はしなかったのだ。ベッドの上の師匠を見ると、本当に毒舌を飛ばしていたのかと疑うほど穏やかな顔をしていた。役目を終えた電子機器が速やかに撤去されるのを見...
記事全文を読む→立川談志が世を去って、今年で15年。晩年の談志に伴走した最後の弟子も、今年、真打昇進を迎えることになった。立川談吉。師を超える「師匠殺し」はかなわず未遂に終わるも、談志に触れた日々は噺家としての根幹となっている。談吉が見たわが師の素顔。誰に...
記事全文を読む→筆者が芸能担当記者時代、直撃取材を数十回はやったと思う。その中で最も緊張したのが、落語家・立川談志の直撃だった。もう40年ほど前のことだ。自身の経験が浅かったし、なにより「気が短い」「荒っぽい」という談志へのイメージがあり、緊張感や恐怖感は...
記事全文を読む→テリー先に10人が辞めてますよね。そうすると厳しさも当然ありますよね。晴の輔一番弟子のツラさは、後からわかるんですけど、師匠も初めてなので基準が決まってないんです。テリー弟子に対する接し方というか。晴の輔はい。やっぱり師匠が白だと言えば、黒...
記事全文を読む→4位には貫禄の横山やすし。タクシー運転手への暴行や酒酔い出演を繰り返して信頼を失っていった。亀和田氏はその好戦的な一場面を思い出す。「トラブルのほとんどが酒絡み。レポーターの前田忠明氏が、『やすしさん、酒臭いですよ。謝罪会見なのに酒飲んで来...
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