談寛冒頭で申しました通り、私、真打昇進したのですが、まだまだ道に惑う者であります。私のこの先について、初代からぜひアドバイスなどいただけると、うれしいのですが。ダンカンそうね。目立ってください、それしかないよ。目立たなかったら芸人じゃないか...
記事全文を読む→立川談吉
師匠は日常を落語のように楽しむ癖があった。落語の八五郎のように破茶滅茶な初代様に、何か心地よさを感じていたのだろう。これを機に初代様は立川流をやめてたけしさんのところに行った。---談寛初代は、たけしさんのところへも毎日通ってたんですか?ダ...
記事全文を読む→談寛真打昇進以降、おかげさまで、お客様からも「いい名前だね」って言ってもらえてます。ダンカンいい漢字を当てたよな。「談」に「寛」。誰か「寛」って名前の、とてつもない犯罪者でも出てこないかなあ。談寛勘弁してください(笑)、それは。ところで、初...
記事全文を読む→昨年来、アサ芸が応援してきた立川談志最後の弟子が真打昇進、立川談吉改め「談寛」となった。「だんかん」を名乗るとなれば、かつて談志門下の「立川談かん」だったダンカン氏の系譜となったも同然。同じ読みの名を襲名するにあたり、“初代”の教えを“二代...
記事全文を読む→落語家は真打になる前に師匠が亡くなると、新しい師匠に預かってもらうことになる。二人目の師匠は、立川左談次だった。左談次は基本、放任主義だった。楽屋でその日やるネタを悩んでいる芸人がいると、決まってこう言う。「いいんだよ、客は素人なんだから」...
記事全文を読む→談志が体調不良で落語の仕事を減らしていた時期、よく散歩にお供していた。タクシーではなく電車やバスを利用していたので、たまにファンの方に話しかけられることもあった。若者に話しかけられ、嬉しそうに答えていたのを覚えている。駅のホームで電車を待っ...
記事全文を読む→令和8年3月1日付で真打になる。名前も改め「立川談寛(たてかわだんかん)」を名乗ることとなった。平成20(2008)年の入門なので、かれこれ18年。おそらく師匠には「遅いよ馬鹿野郎」と怒られることだろうが、まあ私がのんびり屋なのだから仕方が...
記事全文を読む→令和8年3月1日付で真打昇進。「立川談寛」を名乗ることとなった談吉。3年間という談志の弟子の中で最短、されど濃密な時間の中で落語家としてのすべてを学んだ。そしてあの名言「イリュージョン」の深層も─本連載、いよいよ大団円!昨年5月、台所でビー...
記事全文を読む→談志の身の回りのお仕事に慣れてきたある日、プライベートのお供をした。ハワイアンの音楽イベントで、確か日比谷かどこかだったような気がする。一体誰を目当てに来たのだろうと思っていると、突如インディ・ジョーンズのごとく通路の向こうから大きな球体が...
記事全文を読む→思えばタクシーの中では色々なことを指摘された。私は北海道生まれなので訛りに苦労した。「おい、明日は3時でいい(3時に来てくれ)」「はい」「それはどっちの『はい』だ?」声が高いからか訛ってるからかどちらもなのか、「はい」の「い」の音が高くなっ...
記事全文を読む→談志がどうしたら快適なのか、どうしたら不快なのか―談吉は毎日考えていた。それこそ、夢の中にまで師匠が現れるくらいに。前座時代、付き人としてあらゆる場所で叩き込まれてきた談志流の教え。破天荒な日々を振り返る。「師匠!高木ブーですよ!高木ブー!...
記事全文を読む→見習いとしての入門が許されてすぐに、落語の稽古が始まった。演目は当然「道灌」だ。「昔は三遍稽古ってのがあってな」三遍稽古はメモも取らず録音もせずに、師匠が三回落語をやって教える稽古法だ。詳しく説明すると色々あるのだが、やったことがないので偉...
記事全文を読む→アポなしで談志邸を突撃した談吉は、父とともに“三者面談”を受けることになった。すっかり委縮している父を前に「ハッキリ言って食えません」と開口一番言われようとも、談志の弟子になるとの覚悟は微塵も揺らがない。しかし、その場所にはなぜかNHKのテ...
記事全文を読む→「何かあるんだろう、言ってみな」ここで自分が何を言ったかは覚えていない。極度の緊張のあまり般若心経を唱えていた可能性もある。その間、談志は手洗いうがいをし、歯磨きをしたかと思うと舌磨きをしながらえずいていた。思い返せば興奮している鉄砲玉が落...
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