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記事全文を読む→生誕90年 立川談志と最後の弟子〈初めて書く「イリュージョン」な日々〉(5)談志専用紙袋と付き人七つ道具
見習いとしての入門が許されてすぐに、落語の稽古が始まった。演目は当然「道灌」だ。
「昔は三遍稽古ってのがあってな」
三遍稽古はメモも取らず録音もせずに、師匠が三回落語をやって教える稽古法だ。
詳しく説明すると色々あるのだが、やったことがないので偉そうに書くのは遠慮しておく。
「録音していいぞ」
「はい」
この頃はみんなカセットテープを使って録音していた。目の前であぐらをかいた師匠談志が、ボソボソと喋り始める。
「一席お笑いを申し上げます、これだけ言って始めろ」
「はい」
「落語のほうに出て参ります人物は……」
立川談志が稽古とはいえ自分一人のために落語を喋っていることに、これは現実なのだろうかと思った。
「ここがちょっと難しいんだ」
「これも後で覚えておけ」
「このギャグはつまらねえや」
途中落語を止めながら丁寧に教わった。この時のカセットテープは宝物である。
教わったものはすぐに覚えなくてはいけないが、これがなかなか大変だった。というのも、前もって予習したCD音源の「道灌」と全然違っていたからだ。
何もないところに新しいものを入れるのと、一度覚えたものを忘れてから新しく覚えるのでは難しさの度合いが変わってくる。もし私がこれから落語家になろうと思う人にアドバイスをするとしたら、頭の中をまっさらな状態にしてから弟子入りするのをお勧めする。頭はカラッポのほうが夢を詰め込めるのだ。
落語だけに集中していてはいけない。見習いとして付き人の仕事も覚えねばならない。芸能ゴシップ狂いの兄弟子、立川小談志(当時は泉水亭錦魚と名乗っていた兄さん)に根掘り葉掘り教わった。その中で一番重要なのが、付き人七つ道具だ。
水、タオル、ティッシュ、サングラス、バンダナ、靴ベラ、スプレー式喉薬、喉飴、名刺、爪切り、鍵、テレカ、小銭入れ、財布、櫛、インシュリンセット、喉の薬、唾液を出す薬、胃の薬、睡眠薬──。
どこが七つだというところだが、おそらく私が入門するはるか昔は七つだったのだろう。これらを“カバン”という名の紙袋に入れて持ち歩く。この紙袋はそんじょそこらの紙袋ではいけない。伊勢丹や松坂屋などの高級デパートのものが望ましい。ちなみに言い忘れたが、財布とは銀行の名前入り紙封筒のことだ。
私はポンコツなので、この七つ道具を覚えるのが最初は落語以上に大変だった。何しろ酉年生まれの鳥頭なので、なんでもすぐ忘れてしまうのだ。あまりに仕事が出来なすぎて、小談志兄さんが怒られていたほどだ。
「錦魚、こいつは一生懸命やってるが頭からポンと抜けるんだ、お前が見なきゃだめだ」
私のせいで理不尽に怒られていた兄さんの顔は忘れることができない。これから先も一生、この鳥頭が上がらない兄弟子だ。
付き人に全集中していた頃、ラジオ局から帰るタクシーで師匠から声をかけられた。
「お前、名前どうする、普通のがいいだろ、カタカナは嫌だよな」
名前に関しては全く考えていなかったので驚いたが、確かにカタカナは嫌だった。兄弟子にカタカナの人がいるが、自分に置き換えると違和感を感じただけで、別にカタカナがどうとかいうわけではない。立川流で唯一のカタカナ、立川キウイ師匠はカタカナが似合うし、面白い兄さんだとちゃんと思っている。嘘ではない。
2008年4月、立川生志師匠の真打披露パーティーがあった。初めて目の当たりにした真打の披露目なので印象が強い。その宴席で師匠談志が談幸師匠に言った。
「こいつに『談吉』やってもいいか」
「ええどうぞ」
談幸師匠は直弟子で唯一、内弟子(同じ屋根の下で暮らした)を経験した歴史を持っていて、前座の頃に「談吉」を名乗っていた。談幸師匠が嫌な気持ちになったらやめようと思っていたのかもしれないが、もし嫌だったとしても断らなかっただろう。師匠が白と言うものは黒くても白になる世界だ。
この一週間後、師匠談志から電話がかかった。
「メーデーメーデーお前は談吉、談吉だ、ガチャ」
こうして私は談吉になった。
立川談吉(たてかわ・だんきち)1981年12月14日生まれ。北海道帯広市出身。2008年3月に立川談志に入門。11年6月に二ツ目昇進。12年4月に立川左談次門下へ。18年7月に立川談修門下へ。26年3月1日に真打昇進「立川談寛」襲名予定。
写真/産経ビジュアル
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