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記事全文を読む→“映画化”もされた元山口組「伝説の武闘派ヤクザ」の葬儀に800人が参列した!
2月8日に逝去した、山口組で若頭補佐、舎弟を務めた後藤組・後藤忠政元組長(享年83)=写真=の葬儀が2月16日、静岡県富士宮市で営まれ、本通夜、告別式を併せて約800人が弔問に訪れた。元組長の葬儀に、カタギも含めこれほどの人数の参列者が集まったのは異例のことだ。後藤元組長はヤクザ業界で「伝説の武闘派組長」と呼ばれる存在でありながら、政財界や芸能界、興業界でも顔が広く、人脈が豊富だったがゆえであろう。
後藤組がヤクザ社会でその名を知れ渡らせたのが、1984年から89年にかけて起きた「山一抗争」最中の「ダンプ特攻」だった。
「山一抗争は山口組の跡目争いに端を発して起きた、暴力団史上最悪とも呼ばれる分裂抗争です。カリスマだった田岡一雄三代目の死後、竹中正久四代目の就任に反対する勢力が一和会を結成。山口組を割って出て互いに激しい攻防が繰り返されます。そんな中、85年1月に竹中四代目が暗殺され抗争は激化。四代目山口組が一和会側に報復攻撃を繰り返す中、85年5月に後藤組組員らが一和会・山本広会長の自宅にダンプカー特攻を仕掛けたんです。組員らはダンプカーにダイナマイトを搭載。警官との銃撃戦も繰り広げました。決死の特攻は一和会側に精神的なダメージを受けるほどの衝撃を与えたんです」(山口組事情に詳しいジャーナリスト)
その後、後藤元組長は、渡辺芳則五代目時代に若頭補佐に昇格。「執行部」と呼ばれる組織を運営する最高幹部の1人にまで上り詰める。1992年には、ヤクザの民事介入暴力をテーマにした伊丹十三監督の映画「ミンボーの女」の公開後に、組員が伊丹監督を襲撃し、事件がワイドショーなどで連日報道されたこともあった。
2008年、複数の芸能人が、暴力団のゴルフコンペに参加したことが週刊誌で報じられ、NHKの番組出演が見送られたニュースをご記憶の方も多いだろう。このゴルフコンペが、後藤元組長の誕生日を祝って開かれたもので、後藤元組長が山口組の定例会に欠席がちだったことと、その一方でゴルフコンペを開催していたことも問題視され、後藤元組長に「除籍」が処分を下される。これをきっかけに後藤元組長はヤクザ稼業を引退することになる。
ただ、引退後も話題には事欠かかない。引退翌年の09年、今度は得度し仏門に入り、世間と驚かせたのだ。その後も「忠叡」名義で、「袴田事件」の映画化作品で、10年に公開された「BOX 袴田事件 命とは」を企画し、その製作に奔走したり、また、20年にも、波乱万丈の半生を送ってきた自身が主人公のモデルにされた映画「無頼」が、公開されている。
一方、11年にはカンボジアに移住したことでも話題になった。カンボジアでは養鶏場の経営など実業家としての一面を見せ、学校建設などのボランティア活動にも力を入れていたという。
日本最大のヤクザ組織で活動しながら、引退後も幅広い活動で世間に注目されていた。弔問客の人数が規格外だったことも、うなずける話だ。
(アサヒ芸能編集部)
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