僕が司会を担当した、歌手のスカウト番組「スター誕生!」(日本テレビ系・1971年10月スタート)からは数えきれないほどのスター歌手が誕生しました。多すぎて、顔や名前を覚えきれないほどです。川中美幸さんとテレビ局で会って「はじめまして」と言っ...
記事全文を読む→山口百恵
どんな世界でも、その道で名を成し、大きな功績を残すことは並大抵のことではない。彼らの華々しい成果と、その道程での活力は、手を携えた無二のパートナーや時にはライバル同士によって、倍加した力でもたらされるのだ。人はその得がたい縁を「ゴールデンコ...
記事全文を読む→「トリオの名前は取れてしまうけど、それぞれに独り立ちしていくけど‥‥でも、私たちは変わらないからね!」誰からともなく言い合い、ステージに上がる前に3人で「指きり」をして臨んだ。そして終わると3人が号泣し「またすぐ会えるから」と言って別れた。...
記事全文を読む→同じ時期に男性アイドルは「新御三家」(野口五郎・西城秀樹・郷ひろみ)が絶頂期にあった。歌番組では「中3トリオ」とともに、華やかさを競い合った。「私たちも『スタ誕』だけでなく、いろんな番組で“パック”のようになっていましたが、忘れられないのが...
記事全文を読む→73年2月25日、今から40年前に桜田淳子は「天使」のイメージでデビュー。その3カ月後の5月21日、「人にめざめる14才」のコピーで山口百恵も続く。前年にデビューした森昌子と合わさって「花の中3トリオ」が生まれ、芸能界の可憐な活性剤となった...
記事全文を読む→徳光は担当していた「ズームイン!!朝!」で、百恵と友和の恋人宣言を聞く。メインキャスターの立場でありながら、つい、個人的な感想をつぶやいた。「いや、百恵ちゃんと三浦友和では格が違うでしょ。釣り合わないよ」百恵の引退直前、各局で特番が組まれた...
記事全文を読む→「トクさん、すごい子が出てきた!14歳にしては不思議な色気があるんだ」徳光は「スタ誕」のディレクター・金谷勲夫から鼻息荒く言われたものの、残念ながら百恵のデビュー曲「としごろ」を見る限りでは首をひねった。その若さでロングスカートをはき、歌声...
記事全文を読む→「全国3000万人の百恵&淳子ファンの皆様、こんばんは」‥‥徳光和夫流のナレーションで〈歌謡曲の黄金期〉を振り返ってみたい。73年にデビューした2人は、芸能界だけでなく、「日本テレビ最大の危機」にも救世主となる。徳光には、2人それぞれに「忘...
記事全文を読む→結婚と引退を決めた百恵は、デビュー前から世話になった池田のもとへ挨拶に訪れた。80年10月12日に放映された「スタ誕」は、通常の審査ではなく、丸ごと百恵の引退特集にあてていた。池田は、百恵の報告にこう応えている。「わかった。ただし、絶対に別...
記事全文を読む→「スター誕生!」のチーフプロデューサーだった池田文雄は、10年前に世を去っている。84年には社内で昇進が決まりながら、現場を離れることに抵抗し、退社して個人オフィスを立ち上げたほど気骨あふれるテレビマンであった。二人三脚で池田を支えた美佐子...
記事全文を読む→ベトナム戦争が終結し、オイルショックが勃発した73年──不安な世相に、二輪の可憐な花が咲いた。それはまるで、殺伐とした人々の心をやわらげるため、空から舞い降りた〈天女〉のようであった。桜田淳子と山口百恵の2人は、初めからスターとしての宿命を...
記事全文を読む→作曲家の平尾昌晃は、百恵と淳子のドラマ主題歌を1度ずつ提供している。百恵は“赤いシリーズ”の主題歌として「赤い絆」(77年12月)を書いた。レコーディングスタジオで顔を合わせ、しばらく雑談したかと思うと、百恵のほうから「それじゃいきましょう...
記事全文を読む→淳子のデビュー曲「天使も夢みる」(73年2月)を作曲したのは、日本テレビ「スター誕生!」の審査員でもあった中村泰士だ。同じく審査員の阿久悠と“エンジェル”というコンセプトのもとに、それぞれの立場から淳子を見た。「やはり最初の頃は歌っていても...
記事全文を読む→桜田淳子と山口百恵が活躍した70年代には、すぐれた歌の作り手もまた、数多かった。従来からの「職業作詞家・作曲家」がキャリアを見せつければ、ここに気鋭の「シンガーソングライター」もまた、新風を吹き込む。相乗効果は、2人にさらなる輝きをもたらし...
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